ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

ミモロのちょこっと東京旅。芝大門にある徳川家の菩提寺「増上寺」。

2016-06-21 | 東京

今年は、東京に行く機会が多いミモロ。この日も朝のお散歩は、港区の芝大門エリアです。
芝大門といえば、「増上寺」。浄土宗の大本山のひとつです。
 
総本山は、京都東山の「知恩院」。東京の「増上寺」は、関東における浄土宗の殿堂として発展しますが、もとは、空海の弟子の建立した真言宗のお寺がその前身といわれ、室町時代に浄土宗に改宗し、徳川家康が江戸城に幕府を開いたとき、江戸城の拡張に伴い、現在の芝に移されたのだとか。

江戸城の鬼門には上野の寛永寺。そして裏鬼門に当たるこの地に増上寺を移したと言われます。

「増上寺」の前の道は、お正月の「箱根駅伝」のコース。
ここを学生ランナーが箱根を目指し、走ります。

今も、都内では大きな敷地を有するお寺ですが、江戸時代には、3000人以上の学僧が学ぶ広大なお寺だったのです。

明治になると、放火により焼失、大正時代に再建されますが、昭和になり、空襲で伽藍のほとんどを焼失。現在の本殿である大殿が再建されたのは、1974年。つまり東京オリンピックの10年後なのでした。


「東京タワーより、新しい大殿だんだ~」
でも、三門は、江戸初期に大造営されたときの面影を残す唯一の建物で、国の重要文化財です。

また、大きな釣鐘がある「鐘楼堂」は、もともとは、寛永10年(1633)に建立されたもの。でも、現在のものは戦後再建された建物です。中の鐘は、東日本で最大級のサイズ。江戸の町に時を告げ、人々の心をやわらげた鐘なのです。
「戦時中につぶされなくてよかったね~」。金属の供出で、全国のお寺の鐘が鋳潰され、鉄砲の玉などになりました。
「お寺の鐘で武器作るなんて信じられない時代だよね~」と、思うミモロです。

ここ「増上寺」は、都内の観光スポットのひとつで、特に外国人観光客には人気。
東京タワーとお寺の屋根の組み合わせは、日本らしい景色なのです。春は、これに桜も加わるので、まさに「ニッポン」と大人気の撮影スポットになります。

「お詣りしなくちゃ~」と、ミモロは、石段を登り大殿へ。


「増上寺」のご本尊は、「阿弥陀如来」さま、室町期の作といわれます。
 

昨年オープンした『宝物展示室』現在8月15日まで、徳川家にまつわる「葵の御紋展」が開催中。


徳川家の菩提寺ということから、「勝運」のご利益が…。


「京都にいると、徳川家より、豊臣家の方が、人気ある感じする~」と感じるミモロ。
秀吉は、京都の町の大改造を行ったり、大阪を整備したり、関西圏での貢献度が高いのです。
それに比べ、徳川家は、二条城は気づいても、訪れた将軍は、家光以降、14代の家茂まで、ずっと来なかったのですから、やはり馴染みは薄いものが。もちろん、神社仏閣の修復などに資金援助をしていますが、「お金だけ出してもダメなんだよね~」

さて、境内の奥には、徳川将軍墓所があります。

境内の緑に包まれた静かな場所で、ここには、14代将軍の家茂、そして京都から嫁いだ和宮も眠っています。
門には葵の御紋が…
和宮さまは、亡くなったとき、そのご遺体を京都に戻すようにという沙汰があったのだそう。でも本人の遺言で、夫である家茂のそばに祀られました。
「仲良しのご夫婦だったんだね~。和宮さまが徳川家にお嫁に来てくれたから、江戸城無血開城ができて、江戸の町が戦いの場にならずに済んだんだよね~。ホント、お嫁に来てくれてよかったね」と思うミモロです。

そして、境内には、「貞恭庵」(ていきょうあん)という和宮さまゆかりの茶室があり、一般のお茶会にも利用されています。


「あ、東京タワーここからもよく見える~」  

緑の木々越しに眺める東京タワー。春は、桜越しの眺めになります。


*「増上寺」の詳しい情報はホームページで



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