アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人
Information
おてもやんTOP

ログイン

オーナーへメッセージ

2015年01月16日

フランス新聞社の銃撃テロはローマ法王の発言が的を射てると思う訳

pieceフランスの新聞社が全てにおいて正しいって訳では決してないと俺も思う

『他者の信仰をもてあそんではならない』でも、『表現の自由は市民の基本的な権利であり、神の名によって人を殺害するのは常軌を逸しており、決して正当化できない』と語られたそうな
宗教はその人のルールであり心の拠り所でありアイデンティティでもあり、場合によってはそれ以上のモノであったりもするから、それに関して抵触する事はその人自身に抵触する事にもなりかねない
やから俺は普段から、その人の宗教なり趣味なり拠り所としているんやなぁって分かった事に関しては、それがその人の一部であると理解して否定しない
否定はしないけど、俺がそれに同調するかって言うとそれは違うw

今回のフランス新聞社の記事は、偶像崇拝を禁じてるイスラム教としては侮辱にあたるそうやから、世界中にいるイスラム教徒の多くを侮辱した事にもなると思う
中には怒りを通り越した人もいてるやろうし、その中でもテロを起こした人達は、死を覚悟して侮辱を晴らしに行ったんやろうと、テロ犯行犯の心情は理解出来る
ならば、酷く侮辱された事に関して、ムスリムの人達は黙ってなければならないのか?って言われると難しい(-ω-;)
心を傷つける事も身体を傷つける事も同じ傷つける事であるから、それが心を殺される程に傷つけられた場合、反撃してはならないのか?って事
俺にも逆鱗ってのがあって、そこに触れられたら(程度にも拠るけど)平常心でいられなくなると思うし反撃もするやろうし、本気で身の危険を感じればそれなりの防衛処置をする
そうしなければ殺されるだけやから、普通はそんな状況になってないってだけで、もうしそうなれば誰だってそうするはず
イジメの自殺なんてのは、反撃出来なかった末路やと思う
理解は出来るものの、最も厳格であるイスラム教上でも当然殺人は禁じてるんやし、それでなくても殺害をして良いって理由にはならないんやけどね・・・

銃撃されたフランスの新聞社はテロが起こる前、当初は苦情とかからアクションが始まってた訳やし、その時に謝罪なり方向性の変更をすべきやったと俺は思う訳
少なくとも、掲載記事の方向性が変えられないなら、表現方法を変えるなりすれば良かったんやないの?
『俺らの仲間が殺された!』って事だけ叫んでるけど、未だフランス新聞社はムスリム達に対して謝罪はしてないんだよね(+Δ+;)
その他の新聞社が、今回の件で同調して同じ様な事したら、それこそフランスがイスラム過激派の標的になったりイスラム国あたりが攻めてくる・・・なんて事にもなりかねないよねぇ
今回のテロで、実行犯が正義と思わないし、(殺害された新聞社の社員達は被害者やけど)いくら被害者面したって新聞社も正義では決してない


Posted by 兄貴祭り at 08:41│Comments(0)
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。