三時になってしまった。

薬は飲んだ。

実はこの土日、体調不良でダウンしていた。「急性胃腸炎」とのこと。
突然の嘔吐により、土曜日は完全にダウン、日曜日もほぼ寝ていた。
月曜の昨日から今にかけ、朝はフラフラしていたものの、ほぼほぼ元気になってきた。
土曜日も日曜日も、よくもこれほど眠れるものかと言うほど、眠ってた。
途中 あったかいメッセージをたくさん下さったりしながらも、、眠っていた。

それが元に戻ったように 今は眠れない。
眠れないのは一種の「不眠」という病なのだろうけど、
もう長い付き合いなので慣れてしまってる。でもこちらも薬に頼ってる。

頼ってばっかりの私の本当の「病気」って何なのだろうと 今、眠剤2錠飲みながら、不意におかしくなった。


寝て起きてる合間、ときどき動画を見たり、本を読んだ。

本は「吉野弘」さんの詩集。

この方を教えてくださったのは、FBにてお知り合いになれたカメラマンの方。
詩も書かれてた。

この方の感性が好きで、そう、身近にいてはいけないけど、
必ずそこに居てほしい人だった。事情でいなくなってしまった。


私は昨年の春より 一時期かなり心の病が再発していた。
もうこれ以上いくと また二の舞か・・という状態であった。

そんなとき 「彼」の作品と出会った。

連絡先も知ってるけど、わざわざそちらへ何を伝えるのかといえば、
特にない。ただその「感性」 幼気のあるような、むき出しになってる「感性」がそこにあるのならば、
私も自由になれた気がしてた。。。。時期があった。

あるときのこと。

私は言葉って。「欲しいもの」だと思ってた。
こんな言葉を投げかけてくれたら どんなに嬉しいか。

しかしそのような言葉は 今の今まであったのだろうか
それとももう、忘れてしまってるのだろうか。

先日頂いた言葉で 目が覚めた。

「欲しい言葉」じゃなくて
無意識のうちに「欲しかった言葉」

そう、ねじ曲がってしまった心の中の 細い血管のようなものを貫いてる
大動脈のようなもの。

血管の先の このあたりが欲しい・・と思っていたけど、
そうじゃないんだと教わった。
救われたような気がした。

きっと欲しい言葉はもらったのかもしれないけど・・忘れてるのだろうと思う。


私は一体、どんな言葉を
私を取り巻く人たちへ 
贈ることができるだろう。

そんなこんなで 「国語」について学びたいと今、道筋を考えつつ、
とにかく本を読んでいる。小説から詩集、雑誌に至るまで。


女将の仕事にもそれは
通じてるはずだと思う。

言葉は 心でありたいと願うから。


ぴりぴりぴりと 神経が撫でられるよう。
そんなぴりぴりした感情さえ 薬で抑えて
私は生きている。



先日かった百合と桜が
休んでいるあいだに花開いてた。


先ほど読んだ本

「吉野弘詩集」より

「ひとに」



美しいひとよ

あなたの美しさはあなたのものに相違ないけれど
あなただけの所有ではなく
あなたの美しさを愛するひとすべての
所有であることを
あなたに教えたのは私だ

美しさを愛するすべてのひとは
美しさが誰のものであれ
遠慮なしにそれを愛し所有していいので
あなたも
たくさんのひとから愛されることを
拒むことは出来ない

だから あなたが
やさしさをこめて
誰彼の区別なしに美しさを分かち
たくさんのひとの賞賛するにまかせ
所有されるままになってるのは
素直なあなたにふさわしい振舞いには違いない

私はこのことについて
今更 私の言葉を改るつもりは
毛頭なく
私も
あなたを愛するたくさんのひとの
そのうちの
一人であるにすぎず
一人であることに満足せねばならないのだけれど

今一度
私の親身な教訓を聞いてもらいたい
与えるにしろ
受けとるにしろ
完璧なひとつでなければならないもの
つまり
に限っては
到るところの多くのひとに
分け持たせるというわけにはゆかず
唯一人をえらばなくてはならぬ
ということがそれだ
美については
たくさんのひとの所有を認め
美の源である心については
唯一人の所有しか認めてはいけないと
言うとき
その条理が矛盾していることは
私の百も承知したことで
この撞着した言い方に
条理を与えるものがあるとすれば
それは
ひとを
完璧なひとつのまま独占したいという
無法な感情の条理であり
私は今
この無法な感情を認めて
あなたが欲しいというとき
臆面もなく奇態な条理を弄することを
聞き入れてもらいたい

美しいひとよ
・・・・・・

詩の区切りは私がした。
明日は事情があって私の聖地へは行けない。

体さえが 邪魔をする。

そろそろ眠気が出てきた。

「お薬様」は
一旦リセットしてくれる。