マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

また一歩

2017-02-10 08:17:53 | 教会の風景
教会は信徒総会の時期を迎えます。
来年度の予算決定や役員選出に、主のみこころが反映されるようにと祈りつつ、準備を進めています。

2年目を迎えた東村山聖書教会。
また次の一歩を踏み出します。
私たちを導いてくださる主の真実にすがる思いで、教会のみなさんと歩みを進めています。

こちらは、ある主日の講壇脇に置かれた生花。
小さな集いながらも、みなさんが各自の賜物をもって自発的に仕えている様子に私自身も励まされています。



さて、最近の礼拝説教のあらすじを掲載しておきます。

2017年1月 ヨシュア記22-23章 (旧約聖書からの講解説教分)
 万事が以心伝心と行けば良いが、なかなかそうはうまく行かない。ヨルダン川の東側に相続地を得たルベン族、ガド族、マナセの半部族の戦士たちは他の部族と一緒にカナン人との戦いに尽力した。彼らはモーセの命令に従い、ヨシュアにも従った(22:2)。そして、今やイスラエルの各部族に相続地が与えられ、彼らも自分たちの相続地に帰っていく。ところが、帰り際に彼らがヨルダン川のほとりに造った大きな祭壇のことで、あわや民族内での戦争かという緊張が走った(22:12)。幸い、祭司ピネハスと族長たちが使者として派遣され、双方の主張が交わされて誤解は解けた(22:30,33)。そもそも、双方共に主への信仰を動機にしていても、『ヨルダン川のほとりの祭壇』を巡る理解には大きなくい違いがあった。そのギャップから生じた危機は対話によって解消された。対話には、相手の言うことを聞き、尊重する忍耐が必要だ。対話に向かう忍耐と思慮深さを教会は持ち合わせていたい。
 イスラエルの民を約束の地へと導くという使命を果たしたヨシュア。「年を重ねて老人になっていた」(23:1)とされる。(13:1)でも同じように言われていたものの、そのときにはまだ務めが残っていた。さらに歳月が流れ、その務めも果たし、ここでは民に向けてのメッセージを語る。民と共にずっと行動し続けたヨシュアだからこそ、「あなたがたは…見た。あなたがたのために戦ったのは、あなたがたの神、主だからである」と語り得た。そして、民には『十分に気をつけて』と注意を喚起し、主にすがり、主を愛するよう命じている(23:11)。主にすがり、主を愛することは主の民のあるべき姿として、これまでも教えられてきた(申命記11:22; 30:19,20; ヨシュア記22:5)。また、ヨシュアもモーセのように将来への警告として祝福とのろいとを民に語った。主にすがり、主を愛することに私たちも気をつけていたい。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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