マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

収穫

2014-10-29 23:55:51 | 教会の風景
今年も柿の収穫時期を迎えています。
教会の裏手にある柿の木に実がたくさんなりました。
先日、Kさんがいくらか採ってくださり、礼拝に来た方々に分けることができました。





さて、話は変わりますが、月末を迎えましたので、10月の礼拝説教のあらすじ(旧約聖書講解 申命記18-19章)も掲載しておきます。

主は、カナンの先住民の宗教行事を「忌みきらうべきならわし」と呼ぶ(18:9,12)。真の神以外に拠り頼むことは、神に嫌悪感を引き起こす。彼らがカナンから追い出されるのも自身の行いによる(18:12)。神はことばによって民にみこころを示すため、モーセのような『神のことばを語る預言者』を起こす(18:15,18)。のちの時代には、その預言者の出現とキリストとが結びつけられ待望された。使徒ペテロはイエスこそ「ひとりの預言者」だと説き明かした(使徒3:22,23)。また、神が預言者とイエスを通して語ったところに連続性を認めている(ヘブル1:1,2)。神のことばを聴くことが重要だ。
イスラエルの所有地に殺人者が逃れるための町を定めるように主は命じた(19:1-3;民数記35:9-34)。その殺人が過失ならば、加害者を復讐から守り(19:4)、故意ならば、それは「罪のない者の血を流す罪」と呼ばれ、加害者に処罰が下される(19:13)。また、裁判での偽りの証言を悪とし、厳正な処罰を命じている(19:19-21)。『のがれの町』の制度には、殺人を律法に背く罪として厳正にさばくとともに、過失致死の加害者への復讐からの保護という観点がある。人の命が重んじられ、神の民の公正と憐れみとが両立されよう。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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