Torre de Belém, Lisbon, Portugal
さてさて、ポルトガル滞在2日目のこの日、ワタクシ達はトラムに乗ってリスボンの中心部から
テージョ川に沿って西に30分ほど行ったベレン地区へと足を運びました。
そして、まず向かったのはベレンの塔(Torre de Belém)という建物だったんですよ。
ベレンの塔はマヌエル1世に建設を命じられ、1521年に完成しました。
ヴァスコ・ダ・ガマの業績をたたえる目的で造られた灯台ですが、テージョ川河口を見張る要塞としての機能も備えていました。
当時のリスボンでは、英国やオランダの海賊に対する備えが必要だったのですね。
このベレンの塔は近くにあるジェロニモス修道院と共に、世界遺産に登録されています。
この後に行く予定のジェロニモス修道院も、見学が10時からだったので、ワタクシ達は10時ちょうどに
ベレンの塔に着くように向かったのですが、もうこの時点でかなりの行列が出来ておりました。
先日紹介したリスボアカードがあれば、ベレンの塔もジェロニモス修道院も見学が出来るのですが、
カードを見せて入場券を貰わねばなりませんので、結局並ばないといけないんですよ。
「結局並ばなあかんねんやったら、リスボアカード持ってても大して得にならんな」と
ワタクシが文句を言っていると、近くで「そうですよねぇ」という日本語が聞こえました。
振り返ってみると日本から一人旅で来ている女性が、ワタクシの意見(ボヤキ)に同調してくれていたんです。
ワタクシ達は今回の旅の途中、この女性とは思わぬ場所で何度か再開することになるんですよ。
ポルトガルは大航海時代に貿易によって巨万の富を得ます。その富をもたらすきっかけは、
ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の発見ですね。とりわけアジアの香辛料は、莫大な富をポルトガルにもたらします。
ですので、ポルトガルにしてみればヴァスコ・ダ・ガマは最大級の英雄であることは間違いありません。
しかし、アフリカやアジアから見ると彼らは掠奪者であったり、侵略者であったことも事実でしょう。
目の前はテージョ川の河口なのですが、この日、明け方の気温がけっこう冷え込んだからでしょうか。
テージョ川や海沿いは朝早い時間、けっこう霧が出ていたんです。ですので、対岸とかが見えないんですよね。
かつてこの場所から、ワタクシ達が教科書で名前を習った冒険家、探検家、あるいは宣教師たちがアフリカ大陸へ、
そしてインドへ、さらには東南アジアへ、そして中国や日本へと船出していったのかと思うと、
なんだか感慨深いものがありました。ワタクシはちょうど一年前、長崎県の平戸を旅しておりまして、
その時に遠く日本にやって来たキリスト教宣教師のことや、かくれキリシタンについて学ぶことが多かったので
宣教師たちが出発していったこの地を訪ねてみたかったんです。
一方で日本からヨーロッパに向かって行った天正少年使節団の若きキリシタン達が、
ヨーロッパで最初に目にした建造物もおそらくこのベレンの塔だったことでしょう。
その時、彼らはどんな思いでこの塔を、このベレンの地を眺めたのでしょうね。
使用したカメラ:3,4,7枚目はFUJIFILM X-Pro2、他はFUJIFILM X-T1
ここベレンの塔、そしてジェロニモス修道院は世界遺産ということもあるのでしょうが、すごい行列でした。
ただ、私には不思議でならないのは入場や入館するのにけっこうな人が並んでいるような場所でも、
受付窓口の対応する人がいつも一人なんですよ。あれを二人や三人にすれば、
もっと手際よく行列を解消できると思うのですが、日本人の私がせっかちすぎるのかなぁ。
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さてさて、ポルトガル滞在2日目のこの日、ワタクシ達はトラムに乗ってリスボンの中心部から
テージョ川に沿って西に30分ほど行ったベレン地区へと足を運びました。
そして、まず向かったのはベレンの塔(Torre de Belém)という建物だったんですよ。
ベレンの塔はマヌエル1世に建設を命じられ、1521年に完成しました。
ヴァスコ・ダ・ガマの業績をたたえる目的で造られた灯台ですが、テージョ川河口を見張る要塞としての機能も備えていました。
当時のリスボンでは、英国やオランダの海賊に対する備えが必要だったのですね。
このベレンの塔は近くにあるジェロニモス修道院と共に、世界遺産に登録されています。
この後に行く予定のジェロニモス修道院も、見学が10時からだったので、ワタクシ達は10時ちょうどに
ベレンの塔に着くように向かったのですが、もうこの時点でかなりの行列が出来ておりました。
先日紹介したリスボアカードがあれば、ベレンの塔もジェロニモス修道院も見学が出来るのですが、
カードを見せて入場券を貰わねばなりませんので、結局並ばないといけないんですよ。
「結局並ばなあかんねんやったら、リスボアカード持ってても大して得にならんな」と
ワタクシが文句を言っていると、近くで「そうですよねぇ」という日本語が聞こえました。
振り返ってみると日本から一人旅で来ている女性が、ワタクシの意見(ボヤキ)に同調してくれていたんです。
ワタクシ達は今回の旅の途中、この女性とは思わぬ場所で何度か再開することになるんですよ。
ポルトガルは大航海時代に貿易によって巨万の富を得ます。その富をもたらすきっかけは、
ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の発見ですね。とりわけアジアの香辛料は、莫大な富をポルトガルにもたらします。
ですので、ポルトガルにしてみればヴァスコ・ダ・ガマは最大級の英雄であることは間違いありません。
しかし、アフリカやアジアから見ると彼らは掠奪者であったり、侵略者であったことも事実でしょう。
目の前はテージョ川の河口なのですが、この日、明け方の気温がけっこう冷え込んだからでしょうか。
テージョ川や海沿いは朝早い時間、けっこう霧が出ていたんです。ですので、対岸とかが見えないんですよね。
かつてこの場所から、ワタクシ達が教科書で名前を習った冒険家、探検家、あるいは宣教師たちがアフリカ大陸へ、
そしてインドへ、さらには東南アジアへ、そして中国や日本へと船出していったのかと思うと、
なんだか感慨深いものがありました。ワタクシはちょうど一年前、長崎県の平戸を旅しておりまして、
その時に遠く日本にやって来たキリスト教宣教師のことや、かくれキリシタンについて学ぶことが多かったので
宣教師たちが出発していったこの地を訪ねてみたかったんです。
一方で日本からヨーロッパに向かって行った天正少年使節団の若きキリシタン達が、
ヨーロッパで最初に目にした建造物もおそらくこのベレンの塔だったことでしょう。
その時、彼らはどんな思いでこの塔を、このベレンの地を眺めたのでしょうね。
使用したカメラ:3,4,7枚目はFUJIFILM X-Pro2、他はFUJIFILM X-T1
ここベレンの塔、そしてジェロニモス修道院は世界遺産ということもあるのでしょうが、すごい行列でした。
ただ、私には不思議でならないのは入場や入館するのにけっこうな人が並んでいるような場所でも、
受付窓口の対応する人がいつも一人なんですよ。あれを二人や三人にすれば、
もっと手際よく行列を解消できると思うのですが、日本人の私がせっかちすぎるのかなぁ。
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ポルトガルで、一人旅の日本人女性と
出会ったのですね。
女性の一人旅は結構多いのですね。
無事に日本へ帰れたのでしょうかね。
暫らくばたばたしていまので
訪問だけで失礼します。
ご心配お掛けしましたがもう少し頑張ります
有難う御座いました
ポチ (^^)/
素敵な感じですね
初めて知りました
ポルトガルますます素敵だな
と思いました
ポチ!
です。ましてや何たらカード(
小生の場合は、いこかカード)
持っててイチイチ列に並ぶなん
て信じられマセン。常々思うの
ですが駅の改札だけでなく、観
光地の入口、シネマの入口、レ
ストランの入口、カードが使え
る全ての入口に(持参者優先の
ための)自動改札機を備えるべ
きと思います。並ばせるのは、
万国共通役所文化のようで、せ
っかちな小生は嫌いです。どう
せなら万国共通自動改札機を、
売り込みたい気分です。
歴史ある美しい灯台ですね♪
とても素敵です。
日本女性の一人旅…^^
最近多くなってるのでしょうか。
生まれ変わることが出来たら
私もそういう旅したいです…笑
☆
海外で
日本の方と会えるなんて
嬉しいですね(*^▽^*)
☆~
灯台や要塞の役目も兼ねて作られたというベレンの塔は素晴らしいですね!
約500年も前に作られてるなんてすごいです
一人旅の日本女性ですか素敵ですね
応援ポチ!
聞き覚えのある塔だな~と思ってました。
日本人女性の一人旅の方が!
行動力が羨ましい~。
国内はあるけど、国外は未体験です(汗)
かつては、この地から、日本へと出発した
宣教師たちがいたと思うと、感慨深いですね~。
凸
聞いたことが無かったのですが
このベルンノ塔がいいですね~
撮り方色々で雰囲気が変わりますね。
撮影禁止はなかったですか?