よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

ベトナム旅行記:3日目その3 -「人は悪魔になってしまうのか」:戦争証跡博物館・ホーチミン市

2017年02月04日 | 海外旅行ーベトナム
War Remnants Museum, Ho Chi Minh City, Viet Nam

さてさて、この日、朝食を終えたワタクシ達は戦争証跡記念館(Bảo tàng Chứng tích chiến tranh)へと向かいました。
戦争証跡記念館とは、ベトナム戦争の歴史を綴る博物館です


ワタクシはベトナムに行く前からこの博物館に行くかどうか迷っていました。
ワタクシのような観光客が軽い気持ちで訪れていいものなのか、行くべきではないのではという気持ちもありました。
しかし、ベトナムへ、ホーチミンに来たからには行くべきだ、行かねばならないという気持ちが勝りました。

今日のブログを書いていくにあたって、どうしてもベトナム戦争に触れておかなければなりません。
ベトナム戦争を「ベトナム対アメリカ」「北ベトナム対南ベトナムとアメリカ」というふうに思っている人が多いのですが、
戦争の背景はそんなに簡単なものではありません。ちょっと長くなりますが、出来るだけ簡単に説明しますね


1.第2次世界大戦を経てベトナムは宗主国のフランスから独立(宣言を)した。
2.旧宗主国のフランスが失地回復をしようと南ベトナムに傀儡政権を立てたためにベトナムとフランスの間に
 インドシナ戦争が起こり、結果としてフランスはベトナムから手を引くことになった。
3.インドシナ戦争を経て共産主義国(ソ連・中国)が承認した北ベトナムと
 自由主義国(米国・英国)が承認した南ベトナムに分裂した。
4.米国が「東南アジアの共産主義化から民主主義を守るため」という理由でベトナムへの介入を深める。
 一方、南ベトナム国内では横暴な独裁、腐敗にまみれた政府への不満が高まっていき、
 北ベトナムと手を結んで南北統一を目指す南ベトナム解放民族戦線(これがべトコンです)が勢力を伸ばす。
5.米軍は北ベトナムを攻撃、さらに南ベトナム国内にいるべトコンとも戦うことになり戦争は泥沼化する。
大雑把に書けば、こんな感じになるでしょうか

ですのでベトナム戦争は誰と誰が、どの国とどの国が戦ったのかと言われると
「ホーチミン率いる北ベトナム政府(その後ろには武器や資金を援助するソ連と、中国)と南ベトナムにいるべトコン」VS
「南ベトナム政府、アメリカ軍(それに米国と同盟を結ぶ韓国軍、オーストラリア軍など)」の戦いという
非常に複雑な戦争になるんですよね。説明が大雑把すぎて申し訳ありません


ワタクシがベトナム戦争に興味を持ったのは戦後10年となった、1980年代でした。
この頃、アメリカの“良識ある白人たち”がベトナム戦争を振り返り、この戦争の過ちを若い世代に伝えようとしたんですね。
映画の「プラトーン」「フルメタルジャケット」などを見た人も多いでしょう。

ワタクシはこれらの映画も見たのですが、一番衝撃的だったのが大好きなロック歌手である
ブルース・スプリングスティーンの「Born In The USA」という歌でした。
この歌はアドレナリンが沸騰するかのようなメロディーに乗って、ブルースが「Born In The USA」と歌うために
特に歌詞を知らない日本人などは「アメリカへの賛歌」「アメリカ礼賛の歌」だと誤解したんですよ。
実はこの歌は、ベトナム戦争の過ちを犯した米国への痛烈な批判だったんです。
(ブルースは自分の意図とは全く違うようにこの歌が誤解されたことに、ノイローゼ寸前になったそうです)


死んだような生気のない町に生まれ 歩き始めるとすぐに蹴とばされた
最後には叩きのめされた犬のようになり 人生の半分を人目を盗んで生きるようになる

※U.S.A.で生まれた 俺は U.S.A.で生まれた
俺は U.S.A.で生まれた U.S.A.で生まれた

俺はこの町で小さな問題を起こし 彼らは俺の手にライフルを握らせ
外国へ送り込んだ 黄色人種を殺すために

※くり返し

帰郷し、製油所へ行った 雇用係が言う「私の一存ではどうにも」
退役軍人管理局へ行った そこの男が言った「まだ分からんのかね」

俺の兄貴はケ・サンでベトコンと戦った 彼らはまだ生きているが、兄貴はもういない
兄貴の好きな女がサイゴンにいた 彼女の腕に抱かれている彼の写真だけが残されている

刑務所のすぐとなり 製油所の燃え盛るガスの火の近く
この10年 煮えくり返る思いで生きていた 全くのどんづまり どこへ行くこともできない

U.S.A.で生まれた 俺は U.S.A.で生まれた U.S.A.で生まれた
俺は U.S.A.の敗残者だ U.S.A.で生まれた U.S.A.で生まれた(訳詩:三浦 久)

ベトナムからの帰還兵を歌ったこの歌で、ワタクシはベトナム戦争に興味を持ちました。
ただ、この歌にせよ「プラトーン」などの映画にせよ、“良識あるアメリカの白人”の視点で作られた作品です。
ワタクシはベトナム人たちが、この戦争をどう思っているのかということに興味がありました。

なお、上の2枚の戦車の写真は、博物館の敷地内にあった米軍の戦車です。
米軍は戦争から引き揚げていく時に、多くの武器や兵器をベトナムに放置していったんですよね。
そして、博物館の中に入ってくのですが、この博物館は内部の展示品の撮影が許可されていました


「敵はべトコンだ」…米軍の宿舎にこんなプロパガンダが書かれていたんですね。
戦争初期だったこの頃、米軍の若き兵士たちはこの戦争を「ベトナムの自由と民主主義をコミュニスト(共産主義者)から守る
正義の戦いに我々は参加しているのだ」と信じていたことでしょう。もちろん戦争の勝利も


べトコンはゲリラ兵です。ジャングルの中、市街地、農村、どこに潜んでいて攻撃をしてくるかわかりません。
特にジャングルの中での戦いで米兵は神経も体力も消耗していきます


べトコンには女性も子供も参加していました。彼らは軍服を着ているわけではありません。
一般の市民だと思っていたら、いきなり彼らは攻撃をしてくるわけです。
米兵たちは徐々に、一般の市民であろうがべトコンであろうが、区別なく攻撃していくようになるのです


ジャングルに潜むべトコンに地上戦で勝てない米軍は恐ろしいことを考えます。
「ジャングルで勝てないのならジャングルを無くせばいい」…ヘリコプターや爆撃機から枯葉剤がジャングルに散布されます。
枯葉剤が、ナパーム弾がベトナムの大地に投下されていきます。
驚くべきことに、ベトナム戦争で米軍が投下した爆弾のトン数は、太平洋戦争で日本軍や日本の土地に投下された爆弾の
26倍の量になるんですよ。物量で戦争に勝つという、アメリカの発想ですね


アメリカは「自由で平等な国」です。ですので、この戦争では報道の自由を認めていました。
アメリカの国民たちは「正義の戦い」「負けるはずがない合衆国」と思っていたのですが、
テレビでアメリカ大使館がべトコンに一時的であれ占領される姿を見て衝撃を受けます。
そして、米兵や南ベトナム政府軍が一般市民を銃殺する映像を見せつけられ、この戦争が正義の戦争ではないことに気づきます。
合衆国の国内では反戦運動が高まり、世界中からもこの戦争への批判が高まります


1973年に米軍はベトナムから全軍を撤退します。アメリカ合衆国にとって経験する初めての「勝てない戦争」でした。
米軍が撤退すると南ベトナム政府には、北ベトナム軍やべトコンと戦う力は残っていません。
2年後に北ベトナムは戦争に勝利し、ベトナムはベトナム民主共和国として統一されます。

しかし、この戦争の恐ろしいのは戦争が終わった後です。米軍が大量に散布した枯葉剤の中には
ダイオキシンが含まれていました。ダイオキシンが入っている水を飲んだり、その水で育った魚を食べたり、
その水で育てた農作物を食べていたベトナムの人達の体内にダイオキシンが蓄積されていくんですね。
その結果、多くの奇形児が出産されることとなりました

館内に多くの奇形児の写真が展示されてありました。ワタクシはその写真を撮ることが出来ませんでした。
写真を見ているうちに、涙が溢れてきて嗚咽が漏れてしまいました。
日本ではベトちゃん・ドクちゃんが有名ですが、彼らよりはるかにひどい奇形児がいっぱいいるんです。
奇形児を抱きかかえてカメラの前で撮影させている母親の言葉が書かれてありました。
「この子の写真を撮って。そして、世界中に見せてほしいの。
戦争がどれだけひどいかということを、世界中に伝えてほしいの」
ワタクシはこの言葉を忘れません。いや、忘れられません

使用したカメラ:2,3枚目はFUJIFILM X-Pro2、他はFUJIFILM X-T1


広島、長崎の原爆資料館を訪れたことがありますが、この博物館の衝撃はそれを上回るものでした。
人間というのは、ここまで非人道的なことが出来るのかと恐ろしい思いがしました。
昨今、周辺諸国との関係が悪化する中で、日本の中でも(特に若い人たちを中心に)
「憲法九条の廃止」「自衛隊の軍隊化」「状況によっては戦争も辞さず」という声があります。
しかし、戦争が起これば一番苦しい思いをするのは私達庶民、中でも若者達であることを忘れてはならないと思います



ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
写真(風景・自然)ランキングへ
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね


最新の画像もっと見る

41 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ポチ♪ (ゆーしょー)
2017-02-04 00:32:39
こんばんは。
1976年に南北ベトナムが統一し、
1990年に東西ドイツが統一し、
残るは朝鮮だけですが、まだまだ
先の話ですね。
Unknown (アネッティワールド)
2017-02-04 00:54:18
重苦しい気持ちになりましたが
じっくり読ませていただきました。

ベトナム戦争が第二次世界大戦の後に
起こってるところに
大戦の教訓が生かされてないのが残念ですね。
冷戦が終わったあとの内戦のほうが
死者が多いのが悲しい現実です。
American Firstはどこへ進むのでしょうね。
Unknown (れん)
2017-02-04 01:54:26
ベトナム戦争の帰還兵のドキュメントを読んだことがあります。
恐ろしすぎて、むしろ読むのを止められませんでした。
戦争の凄惨さが、恐ろしすぎて。
なのに、アメリカの人って
ベトナム戦争にせよ、原爆にせよ
よく知らない人が多いですね。

戦争は、大義名分をもって、国家が、人殺しを正当化するものです。
一般的な人は、そんなことは、求めてません。

大きな力に飲み込まれて、殺しあう。それが、戦争だと思います。

娘が、広島に修学旅行で行きました。
記念館なども訪れたのですけど。
ちょうど、その年から公開された学校。
被爆者たちが、安否確認や避難先を壁に書いた学校へも訪れて。
娘を含めて、かなりの児童が体調不良に。

私の友人に、一生結婚しないと、高校時代に決めた子がいます。
理由は、両親が、被爆者だから。
その子は、今も、独身です。

戦争は、あってはならないと思います。
Unknown (デコ)
2017-02-04 03:40:23
長崎の博物館は一度訪れた事がありますが
展示されているものからデコは血の匂いを感じました

戦闘服から今ここに魂があると言う気を感じたものです

それを遥かに上回る光景を見学されてきたんですね

あってはならない出来事
Unknown (mbd管理人)
2017-02-04 05:13:51
セイコーやシチズンは立派なブランドなのです(b`-ω-´)b
相棒はシチズンの電波ソーラーですが
とても優秀っす(๑•̀ㅁ•́๑)✧

人間って見たくないものから目をそらしがちですが、
こういうことこそしっかりと自分の目で見て考えることが必要だと
本当に思います。
知らないということほど怖いものってないですから。。。
Unknown (せいパパ)
2017-02-04 05:59:09
とても悲しい戦争だったと感じてます
ベトナム国民は何もしてないのに
大国の思惑で犠牲になった多くの人々が
今日でも命を繋いでいる
その事を痛感しました。
私もボーン・イン・ザ・USAの歌詞に
共感し今月のブログでも紹介する予定です
忌まわしい戦争が起きない事を願いたい。
応援!
おはよう御座います (安人(あんじん)です)
2017-02-04 06:00:35
こちらは今日まで晴れです

ジム仲間が車出して呉れるので

富士山狙いで出かけた来ますね

ポチ (^^)/

明日は雨です
Unknown (baishirou)
2017-02-04 06:32:07
避けて通れない重いテーマを、丁寧に
よっちんさんならではのわかりやすい
書き方で紹介して頂きました。読み応
え、小生でもよくわかりました。ただ、
次第に市民にも無差別に攻撃するよう
になった下りは、些かいただけません。
戦争という狂気の中にあって、東京絨
毯爆撃を推進したカーチス・ルメイが
いたように、戦時下のアメリカはアジ
アの我々に対しては常に手段を選ばず
無差別な攻撃を行ったと思っています。
Unknown (photo cafe)
2017-02-04 06:51:45
おはようございます
これから出かけるます。今日は応援だけで失礼します
事実を事実として (ひろ吉とクンクンと愉快な仲間達)
2017-02-04 08:13:34
歴史的に起こったことを事実は事実として受けとめることはとても難しいですね。特に政治が絡むと事実が歪められた(一方だけの言い分???)報道がなされていることも度々です。私は子供の頃ベトコンは悪い人と理解していました。少し大人になると(高校生)なぜベトナム人がベトナム人同士殺し合うのか?何故大国のアメリカが小さなベトナムを攻めるのか?日本の沖縄から飛び立つアメリカの飛行機が・・・・「歴史観」等という言葉にごまかされないで事実は事実として受けとめ判断していきたいと思います。このブログに行き着けて事を感謝します。ありがとうございます。

コメントを投稿