Himeji Castle, Himeji City, Hyogo Pref.
さてさて、久々に兵庫県姫路市の姫路城にやって来たワタクシですが、
まずは天守閣の前に西の丸の方に向かいました。
姫路城の西の丸というのは、かの千姫にゆかりの場所なんですよ。
千姫とはもちろん徳川秀忠と江の間に生まれ、政略によって豊臣秀頼に嫁いだのですが
大阪夏の陣で秀頼が死ぬと、本多忠刻と再婚しまして姫路城で約10年間過ごすんですね。
これが西の丸の見取り図ですが、西の丸だけでも大層な大きさなんですよね。
この図にある「入口」となっているワの櫓から中に入ることにいたします。
これがワの櫓です。姫路城を訪れる人で、西の丸にやって来るのは三割程度だと聞きました。
多くの人が駆け足で天守閣だけを見学して帰ってしまうそうなんですよ。なんだかもったいないですね。
この廊下を百閒廊下と言いまして、廊下に面して小さな部屋がたくさんあるのですが、
それらの部屋は千姫の侍女たちがいた場所だということです。どれくらいの数の侍女がいたのでしょうね。
百閒廊下の窓から天守閣を眺めました。天守閣の西側が真正面に見えるんですよ。
この建物が化粧櫓と呼ばれるのですが、ここが千姫の休憩所であったそうなんですよ。
千姫と本多忠刻の夫婦仲は睦じく、姫路に来てから二児をもうけ平和な日々を送ったのですがが、幸せは長続きしませんでした。
忠刻は三十一才の若さで死んでしまうんですよ。千姫は落飾して天樹院と号し、悲しみのうちに姫路から徳川家に帰りました。
そういう話を聞くと、なんだか切ない思いがしますね。
西の丸を後にして、ワタクシは天守閣の方に向かって行きました。どこから見ても絵になるお城です。
壁に〇、△、□などの穴がありますが、これは鉄砲狭間と呼ばれるんですよね。
言うまでも無く、ここから鉄砲や弓矢を撃ったんです。
戦国時代には鉄砲が広まったので、もう弓矢は不要かと思うかもしれませんが、当時の火縄銃は雨が降ると使えないし
連射が出来ないんですよねぇ。その点、弓矢は天候に関係なく使うことが出来ますし、鉄砲より早く連射ができます。
そのため鉄砲だけに頼らず弓による防御も非常に重要だったということです。
使用したカメラ:1,3,6,8枚目はFUJIFILM X-Pro2、他はFUJIFILM X-T1
これまで多くの城を訪ねたのですが、まだ見ぬ名城もたくさんあるんですよ。
私は旅に行くのが西日本が多く、東日本にはまだ訪ねていない立派なお城がたくさんあります。
松前城、弘前城、会津若松城などは一度は行ってみたいですねぇ。
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まずは天守閣の前に西の丸の方に向かいました。
姫路城の西の丸というのは、かの千姫にゆかりの場所なんですよ。
千姫とはもちろん徳川秀忠と江の間に生まれ、政略によって豊臣秀頼に嫁いだのですが
大阪夏の陣で秀頼が死ぬと、本多忠刻と再婚しまして姫路城で約10年間過ごすんですね。
これが西の丸の見取り図ですが、西の丸だけでも大層な大きさなんですよね。
この図にある「入口」となっているワの櫓から中に入ることにいたします。
これがワの櫓です。姫路城を訪れる人で、西の丸にやって来るのは三割程度だと聞きました。
多くの人が駆け足で天守閣だけを見学して帰ってしまうそうなんですよ。なんだかもったいないですね。
この廊下を百閒廊下と言いまして、廊下に面して小さな部屋がたくさんあるのですが、
それらの部屋は千姫の侍女たちがいた場所だということです。どれくらいの数の侍女がいたのでしょうね。
百閒廊下の窓から天守閣を眺めました。天守閣の西側が真正面に見えるんですよ。
この建物が化粧櫓と呼ばれるのですが、ここが千姫の休憩所であったそうなんですよ。
千姫と本多忠刻の夫婦仲は睦じく、姫路に来てから二児をもうけ平和な日々を送ったのですがが、幸せは長続きしませんでした。
忠刻は三十一才の若さで死んでしまうんですよ。千姫は落飾して天樹院と号し、悲しみのうちに姫路から徳川家に帰りました。
そういう話を聞くと、なんだか切ない思いがしますね。
西の丸を後にして、ワタクシは天守閣の方に向かって行きました。どこから見ても絵になるお城です。
壁に〇、△、□などの穴がありますが、これは鉄砲狭間と呼ばれるんですよね。
言うまでも無く、ここから鉄砲や弓矢を撃ったんです。
戦国時代には鉄砲が広まったので、もう弓矢は不要かと思うかもしれませんが、当時の火縄銃は雨が降ると使えないし
連射が出来ないんですよねぇ。その点、弓矢は天候に関係なく使うことが出来ますし、鉄砲より早く連射ができます。
そのため鉄砲だけに頼らず弓による防御も非常に重要だったということです。
使用したカメラ:1,3,6,8枚目はFUJIFILM X-Pro2、他はFUJIFILM X-T1
これまで多くの城を訪ねたのですが、まだ見ぬ名城もたくさんあるんですよ。
私は旅に行くのが西日本が多く、東日本にはまだ訪ねていない立派なお城がたくさんあります。
松前城、弘前城、会津若松城などは一度は行ってみたいですねぇ。
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和歌山城とは規模が違いますね。
素晴らしいです。
これは行ってみたいお城です。
会津若松城、弘前城は見ましたが
いずれも趣があり美しい。
しかし、白亜の白鷺城にはかないません。
そう感じました。
熊本城も立派でしたが
ここは一味も二味も違いますね
熊本城も立派でしたが
ここは一味も二味も違いますね
清々しい光景ですね。
☆~
囲まれた一角にいつも幽閉さ
れたような印象がありました。
今は余りにも殺風景な郭です
が、千姫様がおられた昔は御
殿が建ち、庭があり、数多の
侍女にかしづかせて、殿様と
二人、アッツアッツだったと
勝手に納得しておりました。
主郭への坂道、暴れん坊将軍
で馴染んだカットですねぇ。
昔の人はよぉ人力でこげんでかいと作ったなぁーって(笑)
熊本城の再建って本当に大変なんだそうです。
昔の方の技術の高さに感服せざるを得ませんっ。
綺麗になる前に行きましたが
まわり切れていません、とても
立派で美しいお城ですね。
ぽち!!
何処から見ても絵になるお城ですね
有名なお城はたくさんあります、それぞれ特徴があって素晴らしいと思いますがやはり姫路城がすごいと思います
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時間がないのでしょうね。
もったいないことです。
私もまだ行ったことがないので、行ってみたくなりました。
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