Ueno Castle, Iga City, Mie Pref.
さてさて、3月3日のひな祭りの日、ワタクシは三重県伊賀市に向かいました。
こう書きながら、ワタクシはどうしても「伊賀市」という地名に馴染めないんですよねぇ。
平成の大合併によって、従来の上野市を中心に周辺の町村が合併して伊賀市になったのですが、
ワタクシはどうしても「伊賀上野」という呼び方が好きなんですよねぇ。
この日、伊賀市の中心部である伊賀上野では「城下町のおひなさん」というイベントをやっていたのですが、
おひなさんを飾っている本町通り界隈のお店は10時から開店ですので、
まずは9時に開城する上野城に向かうことにしたんです。
上野城の敷地にあるこの建物は俳聖殿と呼ばれる建物で、伊賀上野出身の俳人・松尾芭蕉の生誕300年を記念して、
昭和17年に建立されたものです。八角形から成る下層と円形から成る上層の二層構造となっており、屋根はいずれも檜皮葺。
笠をかぶり、蓑と衣を身にまとった芭蕉の旅姿を表しているんです。
上野城の天守閣が見えてきましたが、この上野城というのはちょっと面白い歴史があるんです。
戦国時代、筒井氏の居城であった上野城なのですが、関ヶ原の戦いが終わると徳川家康は、
大阪城にいる豊臣氏の存在を恐れ、築城の名手と呼ばれた藤堂高虎を四国の宇和島から呼び寄せ、
大坂方に対抗するために上野城の大幅な改修に着手させるんですよ。
ところが上野城の天守閣は完成間近になって、暴風によって倒壊してしまうんです。
本来でしたら、その後すぐに再建に向かうのですが、大阪の陣で豊臣氏が滅亡したことによって、
堅固な城を作る必要がなくなったために、天守閣は再建されることが無かったんです。
しかし、昭和10年に伊賀上野出身の政治家である川崎克氏が私財を投じ、現存する模擬天守を建築したんです。
この時「戦国時代の天守を再建するのに鉄筋コンクリートはふさわしくない。
当時のように木造建築にすべきだ」との考えで、木造建築にしたのは慧眼だったなぁと感じます。
最初の写真の俳聖殿も、川崎克氏が私財を投じて建設したものなんですよ。
天守閣に入ると、伊賀市のゆるキャラである「た伊賀ーくん」が出迎えてくれました。
伊賀という地名と、藤堂高虎の「虎」に因んだネーミングだそうです。
身長は藤堂高虎と同じ190cmということですが、藤堂高虎って背が高かったんですねぇ。
平成26年に「SMAP SMAP」にも出演したそうで、木村拓哉さんと一緒に写った写真が飾られていました。
そして、天守閣の中におひなさんが飾られていました。
最近はいろんな自治体で、おひなさんを飾るイベントが行われていますよね。
おひな様も使われなくなったまま、暗い倉庫の中に片づけられているよりも、多くの人に愛でてもらう方が幸せですよねぇ。
使用したカメラ:1,3枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
この日、伊賀上野の最高気温は16℃になっていました。
穏やかな日差しが射し、歩いていると汗ばむくらいの陽気でした。
3月になって、春が来たんだなぁと実感しますね。
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さてさて、3月3日のひな祭りの日、ワタクシは三重県伊賀市に向かいました。
こう書きながら、ワタクシはどうしても「伊賀市」という地名に馴染めないんですよねぇ。
平成の大合併によって、従来の上野市を中心に周辺の町村が合併して伊賀市になったのですが、
ワタクシはどうしても「伊賀上野」という呼び方が好きなんですよねぇ。
この日、伊賀市の中心部である伊賀上野では「城下町のおひなさん」というイベントをやっていたのですが、
おひなさんを飾っている本町通り界隈のお店は10時から開店ですので、
まずは9時に開城する上野城に向かうことにしたんです。
上野城の敷地にあるこの建物は俳聖殿と呼ばれる建物で、伊賀上野出身の俳人・松尾芭蕉の生誕300年を記念して、
昭和17年に建立されたものです。八角形から成る下層と円形から成る上層の二層構造となっており、屋根はいずれも檜皮葺。
笠をかぶり、蓑と衣を身にまとった芭蕉の旅姿を表しているんです。
上野城の天守閣が見えてきましたが、この上野城というのはちょっと面白い歴史があるんです。
戦国時代、筒井氏の居城であった上野城なのですが、関ヶ原の戦いが終わると徳川家康は、
大阪城にいる豊臣氏の存在を恐れ、築城の名手と呼ばれた藤堂高虎を四国の宇和島から呼び寄せ、
大坂方に対抗するために上野城の大幅な改修に着手させるんですよ。
ところが上野城の天守閣は完成間近になって、暴風によって倒壊してしまうんです。
本来でしたら、その後すぐに再建に向かうのですが、大阪の陣で豊臣氏が滅亡したことによって、
堅固な城を作る必要がなくなったために、天守閣は再建されることが無かったんです。
しかし、昭和10年に伊賀上野出身の政治家である川崎克氏が私財を投じ、現存する模擬天守を建築したんです。
この時「戦国時代の天守を再建するのに鉄筋コンクリートはふさわしくない。
当時のように木造建築にすべきだ」との考えで、木造建築にしたのは慧眼だったなぁと感じます。
最初の写真の俳聖殿も、川崎克氏が私財を投じて建設したものなんですよ。
天守閣に入ると、伊賀市のゆるキャラである「た伊賀ーくん」が出迎えてくれました。
伊賀という地名と、藤堂高虎の「虎」に因んだネーミングだそうです。
身長は藤堂高虎と同じ190cmということですが、藤堂高虎って背が高かったんですねぇ。
平成26年に「SMAP SMAP」にも出演したそうで、木村拓哉さんと一緒に写った写真が飾られていました。
そして、天守閣の中におひなさんが飾られていました。
最近はいろんな自治体で、おひなさんを飾るイベントが行われていますよね。
おひな様も使われなくなったまま、暗い倉庫の中に片づけられているよりも、多くの人に愛でてもらう方が幸せですよねぇ。
使用したカメラ:1,3枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
この日、伊賀上野の最高気温は16℃になっていました。
穏やかな日差しが射し、歩いていると汗ばむくらいの陽気でした。
3月になって、春が来たんだなぁと実感しますね。
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伊賀上野へ行ってきたのですね。
ここでもひな祭りが行われていたのですね。
私がはじめて伊賀上野へ行ったのは、初めて
車を買った頃で、もう50年以上昔になります。
大洲城・今治城へ行ってきたところだったので楽しく拝読しました。
上野城の歴史 意外な展開だったんですね。
応援P
お雛様、さすがにあでやかで華やかですね。
いつの頃からか、あちこちで
町おこしの一環でこのように家庭で使わなくなったお雛様を飾るという行事が続いていますね。
伊賀上野と言うと、若いころ窯元めぐりをしていて何度か行きました。
一番最後に行ったのが20年ほど前で、
炊飯用の土鍋を買いましたが、今でも使っています。
それは、知らなかったです。
最近こんな所にお城があった?
ということが多いのですが
無理に天守閣を建てなくても
いいのにと思うことが多いです。
うんうん、松尾芭蕉の旅姿に見える
気がします~。
古いお雛様なのかな。
お雛様のお顔も、いいですね。
凸
伊賀上野の出身だったんですね芭蕉は・・
俳聖殿は言われてみれば見えますね
おひな様のイベント最近多くなりましたね
家の隅で眠ってるよりこうして皆に見てもらえて良かったですね
とても良いお顔をしてます
応援ポチ!
最近はお雛様を飾るところが多く
なりましたね、こちらはまたいい雰囲気ですね、よく似合いますわ
ぽち!!
松尾芭蕉はこちらの方だったのですね。
「俳聖殿」は芭蕉の旅姿はですか!
言われてみるとそう見えます(笑)
天守閣も俳聖殿も私財を投じてとは
もの凄い地元愛ですね^^♪
☆
以上前でした。
伊賀焼という焼き物の窯元を訪ねました。
その時のことが思い出されました。
いいお雛様ですね~
た伊賀ぁくん。笑えました。
高虎氏はとても大きな人だったのですね。
写真の美しさに、見とれます。自分のがあまりにもなので…。
お雛様様は年に一度は拝見したいものです。
うちも、虫干しの意味で飾ってます。
ポチり❣️