娘が救急車に乗る騒動がありました。
友人宅に招かれて夕食を美味しく頂き、
さぁ、帰ろうかと思ったら雨が降り出していて
みんなで階段をおりていたら
ドンッという鈍い音がしました。
娘が階段で滑って尻餅をついて悲鳴をあげました。
立ち上がることも座ることも歩くことも出来ず
私はどうしてよいものか解らず震えました。
なんとか車に乗せましたが
これは夫と息子には先家に帰ってもらって
私と娘は救急車でしょ!と判断し
すぐに電話しました。
救急隊員からうつ伏せに寝かせて待機するよう指示が出たので
なんとか友人宅のベッドまで連れ戻して
子供病院まで救急車で運ばれるまで
途方もなく長い時間に感じました。
打ち所が悪くて歩けなくなったらどうしよう
という不安が、ずっと頭の中で駆け巡っていました。
結局、尾てい骨骨折で
3週間学校を休むことになった娘。
ずっと痛み止めの薬を飲み続けていて
可哀想でしたが、なんとか回復しました。
その間に義姉が退院してきて
慣れない新居に入り
年寄りの彼女は新しい環境に馴染めず
精神的に不安定だったので
娘の存在が私達の大きな支えとなりました。
いつも危機を迎えて佳境の時は気付かないのですが
こういう思いがけない怪我や事故のタイミング、
回復するまでの期間は
後から思えば、まるで計算されていたのでは??
というくらいにその時必要な事象だったことに気付きます。
以前息子がモロッコで交通事故に遭った時も
それはそれは大変でしたが
あの期間に築き上げた家族やご近所の人々との関係は
私達に深い絆をもたらしてくれました。
今ではただのバカンス客としててではなく
誰もが家族のように歓迎してくれるので
モロッコは私の「帰る場所」となりました。
娘の尻餅事故も、あの時雨が突然降り出して
メタリックな階段が濡れていたのが原因でした。
新居ではまだバタバタしていて落ち着かず
そんな中で不安定な義姉を癒せたのは娘だけだったのです。
でもただの風邪などでは3週間も家にいることは無かったでしょう。
あの骨折を癒す期間は
同時に義姉を癒す期間として必要な時間だったのです。
最近の私は危機的状況ばかり経験していて
今までの静かな生活は何処へやら?ですが
またいつか、あぁ、これはこのために必要な事だったのだろう……
などと思う日がくるのでしょう。
ドタバタな生活の中でも
通える時間帯の大学の授業には出席しています。
無理かな〜と思いながら入学した大学ですが
今や私の最高の気晴らしの時間となっております。
介護の最中だって自分を高める時間が少しでも持てると
気分的に絶望的介護犠牲者にならなくて済むので非常にオススメです。
何事も起こるべくして起こっている
そんなことを考えながら、授業に行って参ります!