きょうです。
思い出してもちょっと辛いと言うかもやもやしたものはあるのですが、それでも自分の胸に秘めておくのではなくこうして言語化しておくことは大切ではないかと思うので、今日はちょっと書いてみることにしました。
そうです、4月6日、心肺停止になったあの日のことについてです。
ちょっとヘビーな体験なので、興味のある方だけ読んでいただければと思います。
思い出してもちょっと辛いと言うかもやもやしたものはあるのですが、それでも自分の胸に秘めておくのではなくこうして言語化しておくことは大切ではないかと思うので、今日はちょっと書いてみることにしました。
そうです、4月6日、心肺停止になったあの日のことについてです。
ちょっとヘビーな体験なので、興味のある方だけ読んでいただければと思います。
以下、ちょっと閲覧注意です。
当日の記憶、倒れる前までの記憶はほとんどありません。スイムで泳いで、バイクを漕いで、ランに入って倒れているので、確かにレースに参加しているはずなんですが、バイク40km漕いだこともよくわかってないです。
レースリザルトをみると、スイムラップが無いので、スイムは1周750mだけ泳いでスキップしたと思います。泳がなかったということは無いです、多分。バイクパートは1時間49分で上がってるので、僕にしてはそんな悪くないです。バリバリされてる人からみればめっちゃ遅いですが。
それで、オールスポーツさん(マラソンとかトライアスロン大会の写真撮影してくれるサイト)のサイトで検索したら、自分の写真が出てきました!なので写真を購入しました。生きてる証ですね。
やっぱり泳いでました。右端で白いゴーグルつけてます。
自転車漕いでます。普通な感じです…
こうやって写真をみると本当に不思議な感じです。
自覚症状はそれまで全然なかった、絶好調だったはずなのですが…でもスイムは1周でスキップしてるのでやっぱり当日おかしかったんでしょう。
ちなみに前日夕方の写真です。
元気そうです。涙。
ランに入って、10km、頑張って歩かずに走り抜こうと思ったのですが、すぐに「あれ?なんかおかしいな。走れないなあ」って感じたことは、ハッキリ覚えています。
それですぐに気を取り直して、「歩いてでも、ゴールしよう」って歩き始めた、はずです。
そこからもう何もありません。
気付いたときには、たぶん…救急車で、ピコンピコン、モニターの音がけたたましく鳴る中、「きょうさーん!きょうさーん!」って呼ばれている声でした。
でもそれも、心臓カテーテルの手術室で名前を呼ばれていたのかもしれないし、あやふやです。
妻と子どもとはICUではじめて対面したのですが、運ばれてるときに横にいた気もして、やっぱり記憶がおかしいです。
前のめりに倒れて、ICUで後から見返したときに、顔面に複数擦過傷と口の中は血まみれ、手のひらでは無くて手の甲に擦過傷があったので、手でかばう暇もなく、倒れたと言うことです。顔面を強打し、記憶障害もあったので、頭部疾患も疑われて後にMRIも精査しましたが、問題ありませんでした。今は頭の症状は何もないはずです。このブログの文章もおかしくないと思います…
さて、救命されて意識が戻り始めた時は、とにかく「不快で気分が悪い」という言葉でしか言い表しようが無い感じでした。
自分に何が起こったのかもわからない。
次第に、「そういえばトライアスロンに出ていたはずなのになんでこんなところで寝転がってるんだろう?」「なんで?」「なんで?」「気持ち悪い」「寝ていたかった」
そんなことばかり感じていました。
急性心筋梗塞の発作が起きて、心肺停止になって倒れて、そこは表現すれば電源がオフになるって感じです。
ブレーカーが、バシッと落ちる感じ。
死に方にもよるでしょうが…僕にとって「死」というのは「無」であるということを、まざまざと体感することが出来ました。
お花畑も、自分を天から俯瞰するような幽体離脱的な感じも、全くありませんでした。
三途の川もありません。
で、戻ってきた時は、大声での呼びかけ、刺激で戻ってきて、医師として救命の時は刺激が大切って学びましたが、その通りであることもわかりました。
一回死んだ人を呼び戻すってのは生半可なことじゃあありません。戻ってくる方も、戻す方も大変です。
後から聞くと、僕は終止錯乱していて、わけのわからないことを言い続けていたようです。助けていただいてありがとうございます、も何回も言っていたらしいのですけど、全く覚えていません。
ICUで目覚めたとき、沖縄に一人で行ったはずなのに、なんで妻子がおるねん?ってビックリしました。心肺停止になって搬送されたことだけ、緊急連絡先の妻の携帯に連絡が入っていて、すぐに来てくださいとのことだったようです。
関西からの飛行機から沖縄に降りた時、妻はまっさきに携帯を確認して、連絡が入ってないことで希望をもったようです。死んでいたら真っ先に連絡があるはずですから…
トライアスロンで、レース申し込みで緊急連絡先を書かないといけないのですがアレ、めちゃくちゃ大切ですね。万が一のためですが、万が一ってホントいつ起こるかわかりません。
子どもからは「パパ、お医者さんと救命救急士さんが偶然走っててそれで助かってんで」と聞かされました。
そう、僕が助かった、いえ助けられたのは、いくつもの偶然が重なってのことでした。
レースと言うある意味手厚い医療バックアップ体制があった中、倒れることが出来て、超絶ラッキーというか、幸運とかラッキーとかそういう言葉では言い表せないくらいのものを感じています。
戻ってきて、同僚や友人からは「何か持っているんですよ」とか言われますが、じゃあ不幸に死んでしまった人たちは持っていなかったのか、というとそれも違う感じがして…
幸運と言うより、偶然と言ったほうがいいのかもしれません。
生と死をわけるものって意外とそんな理不尽なものだけなんではないかと。
さてこの日を境に僕の死生観はすっかり変わってしまいました。
また続きを書きます。
本日はこの辺で、ではまた!
ぽちっと押していただければ嬉しいです☆
ブログ村もよろしくです☆
当日の記憶、倒れる前までの記憶はほとんどありません。スイムで泳いで、バイクを漕いで、ランに入って倒れているので、確かにレースに参加しているはずなんですが、バイク40km漕いだこともよくわかってないです。
レースリザルトをみると、スイムラップが無いので、スイムは1周750mだけ泳いでスキップしたと思います。泳がなかったということは無いです、多分。バイクパートは1時間49分で上がってるので、僕にしてはそんな悪くないです。バリバリされてる人からみればめっちゃ遅いですが。
それで、オールスポーツさん(マラソンとかトライアスロン大会の写真撮影してくれるサイト)のサイトで検索したら、自分の写真が出てきました!なので写真を購入しました。生きてる証ですね。
やっぱり泳いでました。右端で白いゴーグルつけてます。
自転車漕いでます。普通な感じです…
こうやって写真をみると本当に不思議な感じです。
自覚症状はそれまで全然なかった、絶好調だったはずなのですが…でもスイムは1周でスキップしてるのでやっぱり当日おかしかったんでしょう。
ちなみに前日夕方の写真です。
元気そうです。涙。
ランに入って、10km、頑張って歩かずに走り抜こうと思ったのですが、すぐに「あれ?なんかおかしいな。走れないなあ」って感じたことは、ハッキリ覚えています。
それですぐに気を取り直して、「歩いてでも、ゴールしよう」って歩き始めた、はずです。
そこからもう何もありません。
気付いたときには、たぶん…救急車で、ピコンピコン、モニターの音がけたたましく鳴る中、「きょうさーん!きょうさーん!」って呼ばれている声でした。
でもそれも、心臓カテーテルの手術室で名前を呼ばれていたのかもしれないし、あやふやです。
妻と子どもとはICUではじめて対面したのですが、運ばれてるときに横にいた気もして、やっぱり記憶がおかしいです。
前のめりに倒れて、ICUで後から見返したときに、顔面に複数擦過傷と口の中は血まみれ、手のひらでは無くて手の甲に擦過傷があったので、手でかばう暇もなく、倒れたと言うことです。顔面を強打し、記憶障害もあったので、頭部疾患も疑われて後にMRIも精査しましたが、問題ありませんでした。今は頭の症状は何もないはずです。このブログの文章もおかしくないと思います…
さて、救命されて意識が戻り始めた時は、とにかく「不快で気分が悪い」という言葉でしか言い表しようが無い感じでした。
自分に何が起こったのかもわからない。
次第に、「そういえばトライアスロンに出ていたはずなのになんでこんなところで寝転がってるんだろう?」「なんで?」「なんで?」「気持ち悪い」「寝ていたかった」
そんなことばかり感じていました。
急性心筋梗塞の発作が起きて、心肺停止になって倒れて、そこは表現すれば電源がオフになるって感じです。
ブレーカーが、バシッと落ちる感じ。
死に方にもよるでしょうが…僕にとって「死」というのは「無」であるということを、まざまざと体感することが出来ました。
お花畑も、自分を天から俯瞰するような幽体離脱的な感じも、全くありませんでした。
三途の川もありません。
で、戻ってきた時は、大声での呼びかけ、刺激で戻ってきて、医師として救命の時は刺激が大切って学びましたが、その通りであることもわかりました。
一回死んだ人を呼び戻すってのは生半可なことじゃあありません。戻ってくる方も、戻す方も大変です。
後から聞くと、僕は終止錯乱していて、わけのわからないことを言い続けていたようです。助けていただいてありがとうございます、も何回も言っていたらしいのですけど、全く覚えていません。
ICUで目覚めたとき、沖縄に一人で行ったはずなのに、なんで妻子がおるねん?ってビックリしました。心肺停止になって搬送されたことだけ、緊急連絡先の妻の携帯に連絡が入っていて、すぐに来てくださいとのことだったようです。
関西からの飛行機から沖縄に降りた時、妻はまっさきに携帯を確認して、連絡が入ってないことで希望をもったようです。死んでいたら真っ先に連絡があるはずですから…
トライアスロンで、レース申し込みで緊急連絡先を書かないといけないのですがアレ、めちゃくちゃ大切ですね。万が一のためですが、万が一ってホントいつ起こるかわかりません。
子どもからは「パパ、お医者さんと救命救急士さんが偶然走っててそれで助かってんで」と聞かされました。
そう、僕が助かった、いえ助けられたのは、いくつもの偶然が重なってのことでした。
・ランコースが周回コースであった。周回遅れの僕を追い抜く参加者がいたこと。一方通行のコースであれば、たぶん倒れたまま誰にも気付かれず、もしくは気付くのが遅く手遅れになっていたことでしょう。
・僕が倒れたとき、観戦していた中学生たちが「人が倒れたー!」って騒ぎ出したようです。そしてすぐに後方から走ってきたランナーの方が、レースを中断して助けてくれました。そのランナーが、たまたま医師の方と救命救急士の方であったのです。奇跡としか言いようがありません。
・救護テントの近くで倒れ、AED(自動体外式除細動器)を取りにいく時間が早かったこと。
・協会の人に聞きましたが、倒れた場所が固いアスファルトの上でなく、たまたま柔らかい地面の上だったようです。
・もし、スイム中に心筋梗塞になっていたら…
いや、それよりもっと、
・もし、トライアスロン中でなく、街中で、倒れていたら…
レースと言うある意味手厚い医療バックアップ体制があった中、倒れることが出来て、超絶ラッキーというか、幸運とかラッキーとかそういう言葉では言い表せないくらいのものを感じています。
戻ってきて、同僚や友人からは「何か持っているんですよ」とか言われますが、じゃあ不幸に死んでしまった人たちは持っていなかったのか、というとそれも違う感じがして…
幸運と言うより、偶然と言ったほうがいいのかもしれません。
生と死をわけるものって意外とそんな理不尽なものだけなんではないかと。
さてこの日を境に僕の死生観はすっかり変わってしまいました。
また続きを書きます。
本日はこの辺で、ではまた!
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