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半島が、シナがどこが一番になるかで覇権争いをしている時、ヤマト朝廷は合議制を実現する為に伊勢の神を祀り、その末裔である「大王」を間にして政治をとり行っていました。
しかし、欽明天皇の時代に百済の聖明王から仏像が送られてきます。大和朝廷は百済とはちょっと仲良しだったので。
いわゆる「三韓」と呼ばれる新羅・百済・高句麗の中で最も強かったのが百済だったのですが、高句麗と新羅がシナをバックに百済を滅ぼしてしまいます。
そんな時代の前に仏像が送られてきたわけですね。
大王は「どうしよう」と蘇我氏と物部氏に相談し、蘇我氏は祀るべきといい、物部氏は反対します。
蘇我氏は仏教を広める為に寺をたて、自分の娘を出家させたりします。そこまで仏教を信仰した理由は、そこに「教義」があったからです。
コメント欄に「死を穢れとする神道より仏教の方が正しいのでは」という意見が書かれていますが、そもそも神道と仏教は違います。
神道は宗教ではありません。だから教義はないのです。でも世界の中心にある事で人をまとめる力を持っていますし、「神」を敬う、その子孫を敬う事で人の生活に最低の倫理観が生まれます。
「神」がヤマトの人達を繋ぎ合わせていたと考えればその存在意義がわかるでしょう。でも古代の庶民がどれほど「大王」を認識していたかどうかについてはわかりません。なんせ歴史の教科書には豪族たちの話しか出て来ませんしね。
もしかすると、現代の私達以上に「大王」は遠い存在であったかもしれません。それでもどんな小さな庶民の家にも「神」はいたわけです。
しかし、政治を行う上で倫理観だけではまとまりません。もっと規律よくもっと合理的に「善悪」を示さなければ世界に取り残されてしまう・・・と聖徳太子は考えたのでしょうね。
仏教を元に「十七条の憲法」を作ります。
確か「日出ずる処の天子」の中に厩戸皇子が呟くシーンがあります。
「神は祟るものである。しかし仏は許すものである」と。
今まで恐れるだけ恐れて来た人々にとって仏教の教義は大変な「救い」となり、それがやがて平安時代になると仏教中心の宮廷になっていきます。
廃仏派の物部氏は崇仏派の蘇我氏に滅ぼされますが(日本で最初の宗教戦争でしょうか)それでも神道そのものがなくなったわけではなく、日本ではしっかりと共存しています。
大王は「神」の子孫で神を祀る存在から仏教の庇護者にもなりました。
仏像を送った百済・・・というか朝鮮半島では仏教がことごとく排斥されて、儒教による人心の統一を図る事になります。
大王から天皇に
宮脇淳子・倉山満氏著の「残念すぎる挑戦1300年史」から引用させて頂きますと
660年 → 唐が新羅と同盟を結んで高句麗を滅ぼす為にまず百済を攻めます。
シナと朝鮮半島の考え方というのは本当にヤマトの人達には理解できないものですが、高句麗も新羅も百済も同じ民族だったわけです。百済がもっとも強かったので、新羅も高句麗もそれぞれ外国であるシナを利用してっていうか、自国に攻め入れさせてまでも嫌な国を亡ぼすという手に出るんです。
最終的には高句麗も消えて新羅の一人勝ちになるんですけど。だけど、唐もまた半島ついでに倭にも攻め入りたい。
百済は同盟国の倭に助けを求め、斉明天皇が出兵しますが白村江の戦いで全滅します。この時、日本に人質としていた百済の豊璋を連れて行きますが、結果的には自分の腹心の部下を殺してしまい、高句麗に捕らえられます。この時、倭は戦争の大義を失ったのです。
白村江の戦いに敗れたことで、倭には突如唐が攻め入るかもしれないという、前代未聞の危機が迫ります。そこで、日本列島に住む倭人達とシナから来ていた秦氏や漢氏、百済や高句麗の亡命者が団結し、「大王(おおきみ)」に新たに「天皇」という王号を採用して国家元首としました。
「天皇」は「皇帝」と同じ意味ですから、日本の天皇はシナの皇帝と同格になったのです。
それまで倭では「地元民が地元を防衛」という考え方が一般的だったのですが、わざわざ中央から九州の先まで「防人」を派遣する事で「国家防衛」という意識が芽生えたのです。
こうしてみると、「天皇」というものの存在意義が少しわかるのではありませんか?
「天皇」がいる日本といない日本では価値が違ってくるし、歴史の重みが違ってくるんですよね。「国王」「皇帝」を持たないアメリカや朝鮮は非常に日本に憧れをもっています。
清朝を否定した筈の中国は今や紫禁城の頂点にたって習近平は「皇帝」になりたがっています。ロマノフ家を潰したロシアのプーチンも本音は皇帝になりたいのかも。
もし天皇という存在がいなくなってしまったら、日本という国を今以上に甘く見る国が沢山出てくるかもしれませんよね。
今の日本が、日本の歴史上かつてなかった前代未聞の異常事態であることは間違いないです。
今の皇室が、美智子さん、雅子さんという反日勢力を背景に持つ人の入内によって、とんでもない事になっている。
でも、それだけではなくて、私たちの意識も問題なのでは?
私たちの祖父祖母の時代までは、家に神棚と仏壇があるのは自然な事でした。
いま、神棚と仏壇の両方があるお家は少ないようですし、どちらもないお家も多いかも。
(都会では住宅事情もありますし)
伊勢神宮は早朝5時から参拝できます。5時でなくても、おかげ横町のお店の開店前の静かな神宮一帯は別世界で感動できます。(赤福だけは、早朝参拝者のために開いてます)
昨日15日の早朝、今年も無事に、「お水取り」で知られる東大寺の修二会が満行を迎えました。お松明が有名ですが、14日間、深夜早朝に祈りが行われています。
これが1200年以上の間、一度も休む事なく続けられた、すごい事です。
この修二会では、東大寺ですが、神道的要素も多いものです。
今年も、東日本大震災の犠牲者、被災した方々への祈りの言葉を、深夜の行の間に聞くことができました。
今上夫妻、徳仁夫妻のせいで、とんでもない事になっている皇室ですが、
天皇が存在し続けたという素晴らしい歴史をここで止めるわけにはいきません。
だからこそ、今上コウゴウモドキとコウタイシ夫妻 は許されるものではない。柱が自ら折れようなんてあってはならない。
確かに仏教は穏やかだけど、お寺の僧侶によって物質主義が蔓延っている現状で、神社と天皇いらないは危険です。地元のいくつかのお寺はA寺は五重の塔建てるから一口20万、B寺 大御堂の横に新しい別の拝殿たてるから一口30万と檀家に要求。檀家は→「はぁ?」でも払う
幸い菩提寺はそんなあくどい寄付の要求する お寺ではないので助かっていますが、場合によっては宗教家自ら宗教に対して信頼を無くしてしまう事をしてる場合があり、日本人は神道ベースに仏教などの宗教を信じれば良いと思います。
まぁ、去年の某国八幡様の姉弟事件や某お笑い芸人(神主家系)などで神社も全てがキレイではないと浮き出てきまいましたがね。
ご先祖様が神仏に祈ってくれたから、日本は周辺国には絶対にない精神性高い国に成れたんだと思います。
仏壇は先祖の供養するもので、真ん中は天照大神左に諏訪神社右に戸隠神社のお札を納めます
仏壇は結構いい加減で浄土真宗なのでほんとは真ん中に仏様、左に蓮如上人右に親鸞上人のお姿の掛軸がいるのですけど・・なぜか左右とも親鸞上人です
ほかにもご飯の盛り付ける器とか細かく決まりがありますけど・・いい加減にやってます
アメリカが天皇を弾劾裁判へ引きずり出すことができなかったのは、国民の天皇への崇敬が一枚岩と言ってもいほど強固だったからです。
で、国民の天皇への強固な崇敬を壊すために皇太子を教育するところから始めたのでしょう。
皇太子が美智子妃と手に手をとってスケートリンクを滑り、社交ダンスを踊る姿をみて、皇太子の御学友(橋本明治?のグループ)が、「我々はこんな姿を見るために、必死に皇太子を守ってきたのではない!もう日本は終わりだ!」と、憤然として御学友の立場から降りてしまったという記事を読んで、意味が解りませんでしたが、今となれば、彼らは何十年か後の現在の姿を予見していたのでしょうね。
アメリカもロシアも中国も、国民の支持を失った天皇など怖くも羨ましくもありませんよ。
もうすでに、彼らは天皇が国民の支持を急速に失いつつある実態を知っているでしょう。
許しがたい、残念な皇室の現状にたいして、伊勢神宮や高野山(紀子さまご懐妊から続けられた安産祈願、そして誕生された悠仁殿下のお印は高野槙)、東大寺などが一切声を上げないことに残念な思いを抱いた時期もありました。
でも、今年も東大寺二月堂の修二会で聴聞していた際に
「祈りこそが寺社の本分である」ということを実感しました。
どれほど今上が残念な状態、徳仁がボンクラ、反日であろうと、今上や皇太子に異を唱えることは、権威、秩序を否定すること。
「革命」になってしまうのです。
いわゆる「お水取り」で知られる東大寺修二会本行の14日間は、それは厳しい不退の行、命をかけた荒業です。11人の僧侶が行います。
大仏様界隈の観光地ぶりとは別世界。
1200年以上も絶えることなく続けられた不退の行において、途中で抜けたのは、戦時下の召集令状により下堂した数人だけだそうです。
伊勢神宮、高野山、東大寺はもちろん、全国の寺社で「祈り」が続いていること。
「革命」を起こすことはできない、それは天皇をいただく日本を否定することになるから。
このことは、秋篠宮殿下にも言えることでは?
父母であろうと天皇皇后に逆らうことはできない、皇太子にも。
それは「謀反」「革命」になってしまう。
皇位継承に連なる方の責任としてもできないでしょう。
今回の生前退位に関連して
「皇嗣殿下秋篠宮の皇籍離脱は認めない」という文言のあることが、ひっかかっています。
わざわざ言うのは何故?
今上夫妻、徳仁夫妻のあまりの非道さに、秋篠宮殿下が皇籍離脱を願ったら困るからでは?
働き手がいなくなりますもの。
国民の人気を考えたら困るから。
愛子さんが誕生してからも、悠仁殿下が誕生されるまでは、美智子さんの反秋篠宮家は、ここまであからさまではなかった。悠仁殿下誕生後も、今上がまだしっかりしていた頃は、ここまでひどくなかった。
「皇統は浩宮の血筋に」などというトンデモ発言をした美智子ですよ。
秋篠宮家貶めのためなら何でもするでしょう。
世間知らずお姫様の眞子さんが小室に夢中なこと、秋篠宮両殿下が小室の胡散臭さを見抜けなかったことは事実としても、
5年前、眞子さんと小室の出会いを仕組んだ人物が、組織が存在するのでは?との強い疑念を持っています。
そんなことがなかったとしても、皇室の権威が大きく揺らぎ、孫娘眞子さんが人生の岐路に立っている今、強い「権力」を持つ美智子さんが動かないのは非常に不思議です。
秋篠宮殿下誕生以来、40数年ぶりに男性皇族が誕生した、この悠仁様誕生は奇跡的です。
大切に思います。
仏壇はご先祖、神棚は神様を奉ります…
皇室のイメージは私は物凄く良いイメージかと言うと?です
戦前は学校の校門近くに設置された両陛下の御真影を火事などで燃えたら校長は腹を切る…と言う話を聞いてすごい世界だなと思ったものです
「神は祟る、仏は許す」~名言と思います。
その後、天皇家は、神仏の両方を大事にされて来たようです。
それが崩れたのは、文春新書の 日本史のツボ( 本郷和人東大教授)によりますと
幕末の黒船来襲で、国家神道( =天皇中心の 一神教的) が生まれ、邪魔な仏教を排除しようとしたのが
廃仏毀釈で 貴重な文化遺産が破壊されました。
南九州では特に激しく、江戸時代迄の古い寺はことごとく破壊されました。
タリバンを非難出来ません❗
ーーー無理に無理を重ねた「国家神道」は、
( 日本史のツボ では) 第四の外圧= 敗戦を迎えます。
そこで起きたのは、宗教そのものの軽視、喪失です。 ーーー
✳これが、今に続く日本の現状なのでしょうか?
最後の部分は、内○の現状とは、関係無いのでしょうか?
より若く、可能性を感じさせる秋篠宮様や
悠仁様の御代の到来を祈念致します❗
天皇の為に命を捧げた英霊たちを祀る靖国神社が、今はまるで厄介者のように扱われていると思わざるを得ません。
なぜなら、いそいそと戦争の”悪業”を謝罪して回り、欧米の国賓が来るたびわざわざ謝罪挨拶を、嬉々としてやっています。
韓国にも行きたくてたまらず、上皇になってもいく気満々のようです。
極めつけは、カトリック尊崇妻との結婚です。
カトリックと日本の神とは違うわけですから、祭祀の義務がどの程度真剣に行われているやら、もう信用さえ出来なくなります。
少なくとも、美智子さんは形式的でしょう。
そういえば、高麗神社でしたか、朝鮮に熱い思いの美智子さんは、別格の正装でお参りに行かれました。
靖国神社は、朝鮮以下の、もう皇室には存在しないものなのです。
英霊の怒りというものもあるだろうと思っております。
、
遊びに目覚めてしまつた天皇陛下が今の様な日本にしてしまったのでしょう。