後輩の病理医で「学生時代、数学の試験で満点以外取ったことなかったんですよ」と言っているのがいた。”すごいね”と感心していたら、「まあ、数学だけでしたが」と付け加えてくれた。なんでも、高校生の頃は数学者になろうと思っていたのが、どういうわけか今では病理医ということらしい。詳しい経緯は聞かなかったが、いろいろあったのだろう。気立てのいい優秀な病理医で、今度留学するらしい。こういう人は、典型的な数学脳、すなわち微積分を感覚的に捉えることのできる才能があるだろう。文系脳の私としては羨ましい才能だ。
コメディカルの私より少し年下の人に、村上春樹の「かえるくん、東京を救う」を勧め、私の文庫本を貸して読んでもらったことがあった。「かえるくんは、片桐さん(主人公)?」と一言付け加えて返してくれた。かえるくんを社会全体のメタファーとして捉えていた私とは、まったく違う解釈でびっくりした。それに、そっちの方が数段スマートだ。感受性は人それぞれだけど、文系脳を自負している割には考え方が浅かった自分がちょっと残念に思える。
だからといって、私の数学的才能がどうとか、感受性がどうとかを言いたいのではない。人間誰しもそれぞれ素晴らしい才能を持っているに違いないということ。自分の才能に気づいた人はそれを存分に伸ばしたらいいし、それでも叶わない人もいる。かといってそれがわからないと自分探しをする必要もないだろう。それぞれの人が、それぞれいる場所で、一生懸命”何か”をやっていたら、その才能が生かされてくる場面が出てくるに違いない。
人間誰しもそうで、私、コロ健だってそうだと思えば、毎日の仕事も頑張ろうと思える。人間誰しも今いるところで、全力を尽くすことが未来を切り開くことになる。
だから、ブラック・いじめは許されない