今日で長かったようであっという間だった一週間も終わり。明日も仕事が入っているので、病院には行くけれど、それは延長戦のような感じでウィークデーのそれとは少し違う。
一週間という区切り、7回夜明けが来るものなのか、7回日暮れが来るものなのか、果たしてどちらと捉える人が多いだろう。たぶん、朝そのことを考えたら、7回の夜明けだろうし、仕事帰りに考えたら、7回の日暮れを区切りにするだろうか。
季節によっても、捉え方は違うだろう。
例えば、私だったら、今の時期は朝起きたら明るく、夕方は窓から夕焼け空が見える。
けれども冬は起きても真っ暗、夕方も気がついたら真っ暗ということは少なくない。空を見ていつも真っ暗だったら、区切りのつけようも無い。
夜明けと夕暮れ、どちらが区切りとして適切かというと難しいけれど、毎日のことを過ぎゆくままに放っておくと、結局のところ区切りがなくなってしまう。
仕事がある間は、そのリズムをもって一週間とするのが一番楽なのだろうと思うが、果たしてそれでいいのか。
メリハリの無い日々は、生きることに対する感覚が鈍麻してしまうようで怖い。
一日の区切りをつけること、意識すると意外といいことかもしれない。
一週間という区切り、7回夜明けが来るものなのか、7回日暮れが来るものなのか、果たしてどちらと捉える人が多いだろう。たぶん、朝そのことを考えたら、7回の夜明けだろうし、仕事帰りに考えたら、7回の日暮れを区切りにするだろうか。
季節によっても、捉え方は違うだろう。
例えば、私だったら、今の時期は朝起きたら明るく、夕方は窓から夕焼け空が見える。
けれども冬は起きても真っ暗、夕方も気がついたら真っ暗ということは少なくない。空を見ていつも真っ暗だったら、区切りのつけようも無い。
夜明けと夕暮れ、どちらが区切りとして適切かというと難しいけれど、毎日のことを過ぎゆくままに放っておくと、結局のところ区切りがなくなってしまう。
仕事がある間は、そのリズムをもって一週間とするのが一番楽なのだろうと思うが、果たしてそれでいいのか。
メリハリの無い日々は、生きることに対する感覚が鈍麻してしまうようで怖い。
一日の区切りをつけること、意識すると意外といいことかもしれない。
4月から立場が変わって、慣れないことの連続にドタバタしています。
毎日が13~14時間勤務で、出勤途上、ふと今日は少しだけ早く帰りたいなと考えている自分に気付くと、「帰るために出勤するのか?」と変な気持ちになります。
メリハリないことこの上ない毎日ではありますが、一昨年までの「気がつけば1週間」のようななめらかさではなく、昨年の「楽々と1週間」のような浮き上がった感じもなく、毎日足の裏に地面を感じながらギシギシと歩いている今年が、生きている実感を体現しているのかもしれませんね。
きれいなおばあちゃんになれるよう、無理しないでくださいね。