こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

書かれた医学は過去の医学・・・冲中重雄先生の言葉

2016年04月22日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

ここのところ、このブログで病理解剖のことを書いている。もう、年明けから断続的にだから、足かけ4か月。けっこうな期間になる。いつまでたったも結論めいたものが見えてこない。自家撞着というか、コロ健、独りよがりになっているのではないかと不安になり、このことについて書いてあるものがないかと思っていたら、『病理と臨床』という、病理医向けの雑誌の今月号に、“病理側からみた内科臨床と剖検”というタイトルの寄稿があった。

内容は東大第三内科教授として、一時代を築かれた冲中重雄先生の最終講義での有名な「生涯誤診率」のお話をもとにしていて興味深い。これは私の言うところの“ミクロ的な死”の話に通じるもので、これまでの私の話の続きの参考にさせていただきたいと思っている。
それはさておき、その寄稿の中で引用されていた、先生の締めのお言葉が印象深かったので、紹介したい。それは“書かれた医学は過去の医学であり、目前に悩む患者のなかに明日の医学の教科書の中身がある”というものだ。冲中先生自らの言葉ではないそうで、先生も感銘を受け、その言葉を後進へと贈ったようだ。ちなみにこの最終講義がされたのは1963年、コロ健が生まれた年だから50年以上も前のことだ。少しぐらい時代が変わっても、本質的なことに変わりはないということだ。

先日、「人生は未来にこそある」と書いたけど、私のそれはとても個人的な想いだった。冲中先生は医学者として多くの喜びと葛藤を経験されたに違いない、そしてすべては明日につながるものだと述べ、広い視野に立って後進の医師を励ました。視野の広い狭いは別として、すべては明日にそして未来にあるのだと、常に思いながら生きて行きたい。

出版されたとたんに直したくなる

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