こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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よりよく生きるにはどうしたらいい?

病理解剖で思うこと(3/10)死者への感謝

2016年04月08日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

病理解剖は亡くなった方にとって有益なことはほとんどない。ただ生前から死後の自分の体を医学の発展、教育に役立てて欲しいと考え、遺族に病理解剖や系統解剖(解剖学での教育)を託していくす方はいる。こういう方は、生前において人類の未来へ貢献するという気持ちを持つことができる。ただ、残念ながら、すべての方について解剖をすることはできないので、病理解剖では臨床的に治療が難しかった症例についてお願いすることとなる。そしてその詳細を知ることは、病理解剖を行っても難しい。


いったん病理解剖が始まれば、病理医がその場すべてを取り仕切る。解剖用具の選択から始まり、方法や記録について症例に応じて選択し、実行する。ところでこの病理解剖開始のときだが、私は両手を合わせて黙祷する。大抵の病理医が行っていることだと思うが、この時何を考えているのだろう。その時々、念ずる言葉は違うが、私は亡くなられた方のご遺志、ご遺族の気持ちなどに感謝すると同時に、これから始まる病理解剖診断という医学的格闘への闘志を奮い立たせている。これは病理医共通の思いだろう。


最終的には、亡くなられ、病理解剖をさせていただいた方の診断を下すこととなる。たとえそれがその方の命の長さに関わらないとわかっていても、病理医はそのために持てる能力を最大限発揮して病理診断を行う。それが、亡くなられた方への感謝の念を示すこととなる。

 いろいろな思いで

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