こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生はあっという間だな、あと少しの間どうやって生きよう

200メートルから先の人生

2017年11月07日 | 生き方について考える

毎日嫌なニュースが続く。それでも、朝になったら陽は昇る。

気がつけばもうすぐ54歳。人生でいえば400メートルトラックの第3コーナーを回って、第4コーナーに向かうところだろうか。

小学5、6年生ぐらいから足が急に早くなった。中学・高校時代頑張っていたバスケットボール部の顧問がやたらと走らせてくれる人で、おかげで足はもっと早くなった。そこそこの進学校(『二月一日』2008/2/1)で、スポーツに熱心ではなく、そういう学生を集めてはおらず、そんなにスポーツに優れた人間はいなかったとはいえ、私がいた世代では学校で一番足が早かった。得意だったのは、200メートル走。100メートルよりも戦略を持って走ることができるのが好きだった。

200メートル走では、80メートルぐらいでトップスピードに乗せてあとは無酸素でしばらく走った。体よりも先を行く意識のようなものに追いつこうとして走った。身体中の酸素が消費尽くされたようなところで、息をついているのかよく分からないままゴールする。私のこれまでの人生はこんなだったように思う。

もちろんコロ健、井の中の蛙。世の中に出たら優れた人なんてたくさんいて、かけっこが学校で一番などというのは同窓会以外の場で全く役に立つことはないけれど、仕事があって、家族はいる。世を恨めしく思う必要のない人生ではある。

そんな私だが、200メートルを走りきり、子育てが終われば第3コーナーを回り終える。

私は400メートルとか1500メートル走はからきしダメだった。生まれついての筋肉の塩梅がそういう具合だったのだろうから、仕方ない。でも、私はもともと200メートル用にできていたようで、人生も200メートルで終わりのような気がしていたのだけど、どうやら200メートルを走りきってもまだ続くようだ。

たった200メートルを走ってきただけでも、いろいろなことがあった。どうしようもなく息ができなくなったことも何度もある。これが400メートルトラックとなって、残りを走ることになったら、またどれほど苦しいことがあるのだろう。

人生は一人で走る。全力で走っている間、誰も引っ張ってくれることなどない。でも、走っていた時、暖かい声援と拍手は聞こえた。ライバルだって考えてみれば、同じゴールに向かっていた仲間だった。今、生きている私の人生も同じ。自分の足で立って走らなくてはいけないけれど、応援してくれる人、一緒に走ってくれる人はいる。

第3コーナーを回ってしまった後の人生なんて想像はつかない。ラストスパートの余力も残ってなんかいない。でもそこに道があるならば、人生を投げることなく完走を目指して生きていくほかない。

栄光に向かって走ろう

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