進行性核上性麻痺と闘った父とその家族の記録

進行性核上性麻痺と診断され6年2か月。89歳まで闘い抜いた父、それを支えた家族の記録。

命日

2017-05-29 22:55:15 | Weblog
お久しぶりです。

父が亡くなって4年目の命日でした。
あの日を思い出してました。
久しぶりにここを開いてみると、今でもいっぱいのあしあとがついていてビックリ。。。
ありがとうございます。
今日はものすごくいい日でした。
朝のうちにお墓参りもできたし、
一周忌の時に作ったアルバムをゆっくり見て思い出話をすることができたし。
父への感謝の気持ちを改めて感じることができた1日でした。

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3 コメント

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現在、最期が近いです (父、PSP)
2017-07-01 22:44:46
私も父が進行性核上性麻痺となりかれこれ5年ほどになります。父は5月で69歳になりました。
一人息子の私は今年の3月まで神戸で仕事をしておりましたが、務めている会社の理解もあり、故郷の北海道への異動希望が通り、故郷の北海道へ戻ることが出来ました。職場から実家までは2時間ほど掛かりますが、何かあった時にも車で動けるようになりました。

今まではほぼ毎日母が施設や病院に見舞いに行ってくれていて、母も70歳のため、精神的にも肉体的にも疲弊してきました。今年の冬に入っていた施設でインフルエンザが流行し、父は感染はしなかったものの、それまで元気で起き上がることも食べることもできた父が、それを境に完全に寝たきりになり、食べることもままならなくなり、病院に入院して点滴のみになってしまいました。それ以降急激に痩せてしまい、また、痰が絡んで話すことも出来なくなりました。

今週の月曜日に父の差し歯のブリッジが、歯茎が痩せてきたために取れてしまい、飲み込んで緊急オペとなってしまいました。仕事を切り上げて2時間の道のりを車で走り、手術室に入る前に会うことが出来ましたが、思ったよりも元気な状態で、2時間の予定の手術も1時間半で終わって、酸素マスクもつけずに出てきました。全身麻酔をしていたのですが、それも術後30分ほどで醒めてきて、目を開いて、手も動くようになったので安心して私も帰路につきました。

今週の金曜日に実家の母から電話がかかって来て、父がICUに入ること、木曜日から状況が悪くなっていることを告げられました。私は再び仕事を切り上げて入院先の病院に駆けつけました。金曜日はまだなんともなかったのですが、本日面会時間にICUを訪れると、熱があり、脈拍は140、血圧は上が60台後半を行ったり来たり。目が開いても朦朧としている感じでした。

一昨年、肺癌が見つかり、左の肺をほぼ切りました。一度は完治したのですが、半年後に再発し今に至ります。その影響なのか、右の肺いっぱいに水が溜まっていたため、内科の先生がその水を抜く処置をしてくれて、呼吸はかなり楽になったように思います。
続き (続き)
2017-07-01 23:00:38
すっかり痩せこけてしまった父。

なかなか初期では病気と判断するのが難しい転倒などの症状で、周りに理解されず辛い日々だったと思います。

もう何年も病気と闘って頑張ってきました。
母も鬱になりながらも、立ち直って頑張ってきました。そんな父と母を遠く神戸から電話で話を聞くことしかできず、やりきれない思いで私も過ごしてきて、ようやく駆けつけられるところに引っ越して来ました。

いま、最終局面が近いことをものすごく感じています。

今日熱が上がっても、看護師さんの懸命な処置で、面会の最後の頃には少し持ち直してきていました。

だけど、夜がくると怖いです。
いつ病院から電話が掛かってくるか。
覚悟はしていますが、それでも怖いです。

明日も無事だといいのですが、明日が終わると、一旦私も自宅に戻ります。
今日、万が一の事態になった時に人工呼吸器をつけることを病院側に伝えました。

少しでも時間を稼いで欲しいと思いました。

仕事中だと移動時間の2時間にプラスのロスが出ると思うので。

でも、父はもうたくさん頑張りました。

複雑ですね。
長く生きて欲しいけど、今の状態で長く生きることに意味があるのか。早く苦しみから解放されたいんじゃないか。

それだけを自問自答しています。
答えなんかありません。

父の生命力がどこまで残っているのか。

口数の少ない父でしたが、背中から教わることはたくさんありました。小さい頃にワガママばかり言った私は、優しい父に一度だけ殴られて、父は超えられないとわかりました。

だから最後まで頑張って、父らしい最期を迎えてほしい。でも、私から見ても本当によく頑張った。

眠れぬ夜です。

長文すみません。
お察しします・・・ (bene)
2017-07-01 23:57:23
お辛いですね・・・
お察しします。

まずは、私のブログを読んで下さってありがとうございます。
父が亡くなって4年になりますが、その頃のこと思い出しました。
全く同じ思いでした。
>長く生きて欲しいけど、今の状態で長く生きることに意味があるのか。早く苦しみから解放されたいんじゃないか。
>それだけを自問自答しています。

ほんとに自問自答していました。
私の自己満足じゃないのかって。
父は早く楽になりたいと思ってるんじゃないかって。
でも、元気だった頃の父を思い出し、きっと父は、私たちの思いをわかってくれてる!!そう信じました。

亡くなる前、病院からの連絡にどきどきしていました。夜中に車を走らせたこともありました。
仕事のやりくり、思い出します。。。

けど、今思うと、父は私たち家族にとって一番いい日に逝きました。まるで何もかもわかっているかのように。

きっと、お父様に伝わっています!!
お母様を支えてあげて下さいね。

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