「途中にいる」ということについて | Kokegurashi(こけぐらし)

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「道ばたに生える、苔の気持ちを考えてみる」
愛知県豊田市旭地区から
身近なものの大切さをかみしめる穏やかな暮らしかた、
「こけぐらし」な日々を発信しています。





坂道の途中に佇むコケを見ながら、


「途中」ということについて考えていました。











坂道の途中にいるこのコケのかたまりは


自力でここから上に登ることもなければ


下がることもない。






これまでの人生、これからの人生。


一生を、この坂の途中で過ごすことになるのだろう。






今、そこに「コケ」という形で


存在しているこの一塊は、


かつては胞子として空を舞い、


この場所に定着した。






そしてこの先、葉の一本一本単位では


枯れたり育ったりを繰り返しながらも


数えきれないほど長い時間を


このままの形で過ごすことになるのだろう。






言ってみれば、「コケ」と呼べる形で


道端に存在しているコケは


常に人生の「途中」にあるのだと思う。






これは僕たち人間でも同じことで、


この世に生を受けてから、


この世を去るまで、


すなわち「人生」と呼べる間は常に、


その人生の途中にいることになる。






人生の中では色々な出来事があって


始まっては終わり、


始まっては終わってゆくのだけれど、


また次の始まりを控えている日々は


常に「途中」と呼べるのではないだろうか。






そして今日も、


僕たちは坂道の途中にいる。






おわり








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