連休の朝、「自由」について考える。 | Kokegurashi(こけぐらし)

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「道ばたに生える、苔の気持ちを考えてみる」
愛知県豊田市旭地区から
身近なものの大切さをかみしめる穏やかな暮らしかた、
「こけぐらし」な日々を発信しています。





ゴールデンウィークの一日を利用して


久しぶりにちゃんとしたコケ散歩に出かけました。












長かった連休も、あと少しで終わり。






連日の仕事に追われる毎日の中では


待ち遠しくて仕方なかった連休。






けれども終わりが近づき振り返ってみれば、


何をやっていたのか


はっきりと思いだせる出来事もあれば、


そうでない出来事もある。






何でもできる自由時間であったはずなのに、


それを思う存分満喫できたのかといえば、


できたのか、できていないのか、


自信を持って言うこともできない。






忙しく働く毎日の中では


「何もしない」時間こそが自由であり、


そういう時間がほしいと思っていた。






けれどもいざ、


自分でいかようにでもできる時間が与えられると


何をしたらいいのか、


あるいは本当に何にもしなくていいものだろうかと


不安になったりする。






「何もない」ということは自由であり、


また見方によっては不自由でもある。






これはきっと、僕たち人間のベースには


「日々」という、忙しく過ごす時間があるが故に、


それと違った時間の流れが押し寄せたり、


その次にまた来る忙しい時間を遠くに感じたとき、


それが戸惑いや不安として、


「自由」という感覚を濁らせてしまうからだと思う。






「自由」が「自由」であるためには


それを「自由」と感じられる感覚や、


心の底からそれを望む


しっかりとした動機が必要なのかもしれない。






そんなことを考えながら


道路脇のコケを眺め、歩いてみると、


動かない、動けない時間がベースにあって


日々道端に佇むコケは


実は自由な存在なのではないかと思えてくる。






「動く」ことへの諦め


裏を返せば、


「動かなければいけない」観念からの脱却。


そして勝ち取った、穏やかな時間。






「連休」という与えられた時間に頼らずとも、


真に自由を生きるコケの姿が


少しだけうらやましくなった、


連休の朝だったのでした。






おわり







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