養分と継続の関係性について | Kokegurashi(こけぐらし)

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「道ばたに生える、苔の気持ちを考えてみる」
愛知県豊田市旭地区から
身近なものの大切さをかみしめる穏やかな暮らしかた、
「こけぐらし」な日々を発信しています。

3億年。

 

 

葉緑体を持った植物が地上に出て以来、

 

このうえもなく地味な生物「コケ」は

 

そのこのうえもなく地味な姿かたちを維持したまま、

 

変わることもなくこの地に存在し続けている。

 

 

 

もしかしてそれは、

 

地中からの養分を必要としないということが

 

大きく関係しているのかもしれない。

 

 

 

先日、学生時代の友人とともに

 

新年会と称した飲み会をした。

 

 

 

学校という同じ環境を共にする中で

 

共に学び、共に遊び、

 

穏やかかつ前向きな時間を過ごしてきた仲間。

 

 

 

卒業してからは、それぞれが違う仕事につき

 

それぞれ違う場所に住み、

 

それぞれの境遇の中で生きている。

 

 

 

学生時代という共通点を除いては

 

ほとんど接点のない間柄だけれど、

 

一年ぶりに顔を合わせれば話が尽きない。

 

 

 

お互いがお互いの近況を語ったり

 

他愛もない話を繰り返したり

 

時々お互いを励まし合ったりしながら

 

ただただ楽しく過ぎていく時間。

 

 

 

会話の中で、

 

「この集まりはいつまで続けられるだろうね?」

 

という話題が必ず出るのだけれど、

 

そんなことを言いながらも、

 

また来年も集まるのだろうと思う。

 

 

 

なかなか会う機会もないのに

 

集まれば居心地がよくて

 

ついついお酒が進んでしまったり。

 

 

 

そんな時ふと、学生時代の友人というものは

 

なぜこんなにも気安くて、

 

一緒にいて居心地がいいのかと考えることがあるのだけれど、

 

きっとそれには、出会ったときの環境が

 

大きく関係しているのだろうと思う。

 

 

 

学生時代という歳月の中で、

 

ただ気の合う友達が自然に集まってゆく過程には

 

お金や物による利害関係や

 

職制、立場といった上下関係がない。

 

 

 

お互いが別々の道に進もうとも、

 

自分の人生に利害を生じるものではないということが

 

このうえもない心安さを可能にしているのではないかと

 

個人的にはそう思う。

 

 

 

きっとそれと同じように、

 

地中の養分を必要としないコケも

 

他の大きな植物からの淘汰と関係のないところで

 

細く、長く、生き続けられたのだと思う。

 

 

 

生きる上で、養分は必要。

 

けれども、継続するために

 

時には少し、養分から気持ちをそらすことも

 

大切なのかもしれないと

 

コケを見ながら、そう思った。