ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

災害

2014年09月01日 | その他

 今日は言わずと知れた防災の日。
 関東大震災が発生した日です。
 およそ90年ほど昔のこととて、もう経験した人で存命の方はわずかになりました。
 20年ほど前、79歳で亡くなった祖母は関東大震災で被災しています。

 祖母は関東大震災のみならず、太平洋戦争とそれに続くGHQによる占領を経験。
 初めて婦人参政権を行使するときは投票用紙を握りしめ片道20分の道のりを下駄のまま小走りで投票所に駆けつけたそうです。
 ただし、投票する基準は、顔が良い男の人、だそうで、ずっこけちゃいますね。
 私の母、祖母から見れば嫁が大卒ということで、女に学をつけると碌なことが無い、と言ってみたり、私が食器洗いなど手伝うと、男が台所に立つもんじゃない、なんて、女性ながら女性差別的な言動が多い人でした。
 
 また、家政婦を女中扱いしたり、まぁ、昔の人だったんですねぇ。

 実家はお寺だったため、GHQが接収の候補にし、見に来ると言う時、祖母は必ずや米兵は乱暴を働くはずだと考え、懐に短剣を忍ばせ、襲われたら子供を殺し、おのれも自殺するつもりだったとか。

 考えてみると、祖父母の世代はかなりきつい経験をしていますね。
 男であれば、ちょうど太平洋戦争時に徴兵にあう年齢ですし。

 団塊の世代以降は、命の危険にさらされるような大事件に遭遇することはめっきり減りました。

 しかし、あの東日本大震災と津波の被害は、現代の日本人に平穏な生活がいかに脆いものかを思い知らせました。

 車や物がぷかぷか浮かんで海に引きずり込まれるあの強烈な映像は衝撃でしたねぇ。

 あの時、消防や自衛隊が大活躍しましたね。

 しかしあまり語られませんが、他にも活躍というか大繁盛した商売が有ります。
 葬儀屋です。
 それに棺桶屋。

 葬儀社に勤める知り合いに寄れば、関東の葬儀屋もことごとくが被災地に応援に行ったそうです。
 そこで悔しい思いをしたとか。
 葬儀屋としての正しい作法で遺体を清めたり納棺したりといったことが、物理的に出来ず、かなりやっつけ仕事にならざるを得なかったことが。
 遺体が多すぎて、葬儀屋が足りないわけです。

 東日本大震災発生は3月11日と、寒い季節ではありましたが、そうはいってもあんまり遺体を放置しておけば腐乱してくるわけで、早々に火葬に付す必要もあったと思われます。

 生きている被災者への救援はもちろん第一に考えるべきことですが、死者に対する葬送儀礼というのも大事ですね。

 関東大震災という首都を襲った地震の脅威に思いを致し、再び訪れるであろう大地震に備えなければならないと、改めて考えたしだいです。 

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