古き良き日本を取り戻そう 2.ムヒカ元大統領 日本人は本当にしあわせですか? ① のつづきです
ネットでいろんなことを検索して調べることができるようになりました。私も好奇心の赴くままに色々と調べるのですが、いろいろな方々があらゆることを言っておられます。そんな中共通してでてくるのが、
「物質的価値観」(物質的に豊かになれば幸福になる)
から精神的なことに重きをおいていくという「精神的価値観」新しい時代に向かっているということ、、、いえ、それは新しい時代なのでしょうか?
それは、古き良き時代へと近づいていく兆しにも思えます、日本の長い歴史からみればここ百年程の近代なんて小さな点ほどもない、
私たち日本人は海外の著名人の方々が尊ぶほどの、遥かかなたの長い歴史・・・「和」の国の文化を引き継いでいる民族なのです
以前私のブログで記事にさせていただいた、長崎を訪れたオリバー・ストーン監督もこんなことを言っておられます。
----------<引用開始>----------
ストーン氏:
第二次世界大戦後、日本ほど急速に「アメリカ化」した国はなかっただろう。マッカーサー将軍の上陸以降、アメリカ製の車や電化製品などがなだれこみ日本のライフスタイルは一変した。その時、日本人は自らの「個性」を保つことを意識したのだろうか。私は映画監督として、黒澤明や小津安二郎(←クリックで映画が見れます^^)溝口健二らが作品に込めた「日本人の精神性」や「宗教観」を尊敬している。そのようなものはまだどこかに残っているのか?
----------<引用終了>----------
小津安二郎さんの初期のころの作品には物質的には貧しいながらも愛に溢れる、家族愛・隣人愛があります。1930年前後の映画をみると古き良き日本人の精神がかいまみれて、感動があります。皆さまも映像を通してご先祖様の精神の在り方を実感されてみてはいかがでしょうか?
それでは、ムヒカ元大統領 日本人は本当に幸せですか? ②にはいります。
✿物質的価値観に幸せをもたない大統領 (青字部分…29.40ぐらいから少々まとめながらの書き起こしさせていただいていますm(__)m)
女性アナ) リオでのスピーチがきっかけで大統領の人物像が注目されました。すると、とうてい他の国の大統領では考えられないほど貧しい生活を送っていたのです。では、実際どんな暮らしをしていたのか?
驚いたのは、大統領が就任の際公開した資産です。
・1987年型のドイツ車一台これだけだった(資産価値約18万円)
・大統領の収入 約月収10万円
(ウルグアイの大統領の収入は約100万円ちょっと
9割は社会事業や慈善事業に寄付、残りの一割の自分の収入も将来農業学校をつくるため貯金)
世界で一番貧しい大統領と呼ばれていることに対して、ムヒカ氏は?
「私は貧乏ではないのだ、質素なだけです」と答えている。
池上氏)つまり、「貧しい・貧乏というのは、欲しいものがいっぱいあって、欲望が絶えることがない、それが貧乏である。私はそんなことはない、つつましい生活をしているだけだよ、」という、そういうことなんですね。
✿ ムヒカ大統領がいかに国民に愛されていたかわかる映像
大統領の退任セレモニーより・・・
池上氏) 大統領の任期は5年なんですね、去年2月任期を終えて、ムヒカ大統領が大統領布を後任に明け渡す時の映像です。ひと目ムヒカ大統領の姿を見ようと広場には大勢の国民が集まりました。
退任のあいさつが終わると、驚きのしぐさを見せるんです。
両手で「おいで、おいで、みんな来いよ」と・・・
両手で「おいで、おいで、みんな来いよ」と手招きしてるんです。集まった人たちがお呼ばれされちゃったと、どっと集まったんですね。
見てください、退任する大統領を取り囲んでみんな握手を求めています。
現職の大統領が退任するわけですね、世間の目は新しい大統領の方に行くはずなんですけど、退任する人の方にこれだけの人たちが集まった。いかに国民に愛され、惜しまれながら大統領を退任したかってことが、わかりますでしょう。
✿貧困層を救う政策で、国民に愛された
◐愛された理由はの問いに国民は?
・今までで一番正直な大統領
・僕たち人間は皆平等だと言った大統領は彼だけだ
・国を進歩させようという姿勢が好きだよ
ムヒカの言葉は正直でその言葉を守るという姿勢も彼の愛された理由のひとつだった。
◐質素な生活の理由
共和国というのは多数決なんだ
だから多数派と同じ生活をするんだ。多数派の生活のレベルが上がれば自分も上げる。少数派と同じではだめだ。
✿ムヒカ元大統領の壮絶な過去 40.30
「いつも穏やかで優しそうなおじいさん」現在のムヒカを見れば、だれもがそう感じるのも無理はない、、、
1972年・・・しかし、若かりし頃の彼は・・・・
若かりし頃の彼は・・・目をぎらつかせ、革命に燃える、ゲリラ戦士だった。
でかでかと載った顔写真はいかにも危険な男だ。いったい何故ムヒカはゲリラ活動などしていたのか?
貧しい家庭に生まれ、7歳にして父を亡くしたムヒカ、当時のウルグアイは大農場の経営者などが富を独占し、多くの国民が貧しさにあえいでいた。その頃からムヒカは考え始めたという。何故金持ちは貧しい人と分け合わないのか…
そんな彼が24歳になった頃、同じくラテンアメリカのキューバで革命が起きる‼!”””
当時のキューバも貧富の差が激しかった。
そこにフィデル・カストロやチェ・ゲバラが銃を手に革命を成功させたのだ。
「俺も貧しい人々を救いたい…」、
ムヒカは、翌年キューバへと向かい”チェ・ゲバラ”の衝撃的な演説を聞いている。「どんなに平和的なデモや政治活動よりも、時として何よりも強烈で効果的なのがしかるべき者への一発の銃弾だ。
ウルグアイに戻ったムヒカは、銃を手に政府と闘うある組織に参加する。それが”トゥパマロス国民解放運動”当時南米最強とうたわれたゲリラ組織だった
ムヒカ達が展開したゲリラ組織の数々は、当時の新聞に載っている。
”電力公社総裁誘拐トゥパマロスと警察が銃撃戦”
”過去最高5800万ペソ以上が盗難(現在の一億円相当)
ムヒカ達は私腹を肥やし富を独占する企業ばかりを狙い、貧しい市民から圧倒的支持を得る。当時、新聞社でカメラマンとして働き、ゲリラ活動を取材していたアウレーリオさんは言う。
ムヒカ達は誰一人として、私利私欲のために動かなかった。彼らは貧しい人たちのために命をかけて闘っていたんだ。
しかし、その人気が政府には目ざわりだった。ムヒカがゲリラ活動を始めて8年目(1970年)次なる戦いのため、仲間と打ち合わせをしていたその時、そこには政府に通じる密告者が・・・
<・・・ここから動画では再現フィルムになります・・・>
そして、、、警察だ身分証を…
これが俺の身分証だ(銃を警察に向けながら・・・)
お前たちは逃げろ(ムヒカ警察に銃を向けながら仲間を逃がす・・・)
撃つな、撃つな!(警察は両手をあげながら・・・)
早く、早く逃げろ・・・っと次の瞬間
ムヒカぁー
6発の銃弾を撃ち込まれたムヒカ
この事件は写真入りで大きく報じられた
”反乱者ムヒカ、銃弾を受け重傷”3か月の入院で一命を取り留めたムヒカは刑務所へ収監された。
だが、一年半後、脱獄に成功
するとこんどこそ政府は本気になった。軍隊まで投入したゲリラ壊滅作戦。その徹底ぶりは、映画でも描かれている。
ゲリラと疑われた人間は、無差別に、また、つかまったら最後、裁判にもかけられず、殺されるものが続出した。
そのすさまじさをムヒカは、のちにこう語っている。
「ハエがたたきつぶされていくように、仲間が殺されていった」・・・と。。。
そんな中、からくも逃げ延びたムヒカは仲間と街を離れ、山の中へ(1972年)、そこでムヒカの運命を変える出会いが訪れる。
ムヒカ)「絶対に負けちゃいけないんだ」
謎の女性)「そう、私たちはまけない」
ムヒカ)「君は・・・」
その女性こそ”ルシア・トポランスキー”
のちにムヒカの妻となる、そう、今回ともに来日したルシア・トポランスキーさんだ。
彼女は貧しかったムヒカとは逆に、もともと裕福な家庭に育っていた。が、その正義感が、貧しい人々を助けるためのゲリラ活動に向かわせていた。
ルシア26歳・・・
ムヒカ)「君ものみなよ」
極限状態の中、いつしか惹かれあう2人、。。。
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来日中のルシアさんに、当時のことを聞くことができた。私たちを結びつけたのは、
ひとつの同じ思いです。
国民のため、家族のため、ウルグアイとうい国を変えたいという想い・・・。
闘い続ける理由があるからこそ、人は生き抜くことができるのです。
しかし、運命はそんな2人を引き裂いた、、、
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1972年8月20日
警察官)「ムヒカおとなしくしろ」
ムヒカ4度目の逮捕
本当の戦いはここからだった
古き良き日本を取り戻そう 2.ムヒカ元大統領 日本人は本当に幸せですか? ③につづく・・・