電車道

多趣味なので、いろいろなことをしています。気ままに語ります。

女性閣僚2人が辞任か・・・

2014-10-20 23:14:48 | 旅行などもろもろ
この週末は、鱗翅学会の秋のつどい、それから稲門祭の手伝いと慰労会という、二日連続でお酒を飲む機会がありました。
今月の5回もの飲み会、あとは来週みかみ部の解剖会を残すのみとなりました。


さて、気付けば暫く前から問題が次々に発覚した女性大臣の2人が辞任したらしいですね。
安倍首相は「2人を任命したのは私、任命責任は私にある」と言っているようですが、その通りだと思います。

端的に「女性を選ぼう」で選んでしまったからこうなったと思います。
数を先行させるために身辺調査もせず実績等を無視し男性を軽視して反感を買いながら無理に女性を登用した結果。
そりゃタダでさえ明らかに男性議員より実績もなく若く登用された人が多いうえ簡単にボロが出る状態だったんだからそこを突いてくる人は沢山いるでしょうと・・・

だって国民の比率からして国会議員の男女比は不自然な値ですが、逆に国会議員の男女比からして女性大臣5人も同じぐらい不自然な値でしょう。
いや、男女問わず私たち一般人には手の届かない『特権階級』の男女比が男性に偏っていることを考えればもっと・・・(笑)
まぁそれでも順当に選ばれているならば女性が多いことは良いことだと思いますけどね。

中には女性だから叩かれて辞めさせられたと言う人もいるかも知れませんね。
それは多かれ少なかれ事実だと思いますし、逆に無実のセクハラ仕立て上げられて辞めさせられる男性も世間にはいるようですから性と仕事は切り離せない部分もあるのでしょうが、仮に誰でもやっている不正が故意に暴かれたにしても悪いことはしてはいけないし、女性閣僚を増やすために男性だから軽視されたであろう一部の男性議員にとって女性だから気に食わないというのは理解できなくはないと思います。

一方で、客寄せパンダ的に女性を優遇登用したりするのは男性差別的なようで女性は蔑視されお客様でしかないし、逆にセクハラ野次なんかもそうだけど数あるハラスメントの中で男性から女性へのセクハラだけを問題視して腫れものに触るような対応をするのも女性は蔑視されお客様である証拠でもありますよね。

男性優位社会が必ずも男性優遇や女性差別とは限らないということ、かといって女性優遇や男性差別が実は女性蔑視でありうること、こんなのはあまたあるように感じます。
マスコミの報道や議会のやり取りを見ていても混同して使い分け出来ていないけども、そこら辺の言葉の使い分けは間違いなく必要でしょう。


ただ、辞めることになった理由には政治と金の問題は当然のこと、法務大臣のストールを「女性のファッションなんだからいいじゃない」とも取れる発言や、経産大臣の実際にどういう用途だったかは別として「ベビー用品に政治費用支出」などによる女性という性を利用したような悪印象もあり、これは上記の議論とは別に最悪の結果でしたね。

こんなことでは、共同参画でもなければ結果として女性の活躍推進にもなっていませんよね。
何だろう、結果としての女性登用は良いことだと思うけども、男性差別をして女性登用を進めるみたいな現政権は明らかに方法を誤っているし、女性政策を『安倍政権の政策の一丁目一番地』と公言するぐらいだから当然、政権が揺らぐことになるでしょう。
ちょこちょこ変わって周期の短い日本の政権、安倍さんは自分が総理の間に手早く結果を出そうとしたのでしょうか。。


あとね、小渕さんなんかはこういう問題を起こして1から出直しという感じになるでしょうが、皮肉めいてますが「女性活躍推進」なんていう変な政策のせいで下駄履いて客寄せパンダとして経済産業大臣にされることなく順当に経験と実績を積ませてもらえていたら、10年や20年後に日本初の女性総理になることも有望だったと思いますよ。
そういう意味では非常に残念です。

早稲田だから肩を持つわけでもないけど、小保方博士だって裏口登用で管理職にして『女性だけの研究室にムーミン飾ってマスコットキャラ扱い』みたいなことやってなきゃ本人と日本のサイエンスが多くを失うことは無かったかもしれないし。。。


さて、ここからナナシサン節が始まります。

私は全ての人にとって住みやすい社会というのは全ての人が同じ立場かどうかは別として同じ立場になれる社会だと思っています。
何度か書いたことがあるように、例えば遠い未来に男性や子宮がなかったり閉経の済んだ女性が子供を産む時代に通用するような、ざっくりとした枠組みの制度が必要だと思います。

失礼な例えになるかも知れませんが、その能力や見込みがあるかどうかは別として知的障害者が東大を受ける権利があるように、その能力があるか実現可能かどうかは別として男性や子宮がなかったり閉経の済んだ女性にも子供を産み育てる権利が当然ある、権利だけは。
このことに対して現在の社会は非常に盲目に思います。

これでは、口外しないにしても逆に言えば若い女性に対する眼も必然的に心の中では「子供を産み育てるものだ」という選択権のない性的役割分担に固執すると思います。
そうすると、一方で全体的な傾向や適性による自然な役割分担が性別によって偏ることを「性的役割分担だ!!」といって否定し数の平等を図る流れにもなると思います。

本気で取り組むならば、こんな視点を全ての人間が持って社会を改革していくことが必要だと思いますが、現実は「究極の男女差別」としての男女平等っぽさを実現した西欧諸国の視線を気にしながら、男女が敵対と妥協をしあって適当に線引きが為されるだけ。
私の理想は日本国民全員の性別が「生物屋」でもない限り実現できないでしょうか(笑)

私たちの『生物屋』の世界にはセクハラというものは存在しません・・・
会話には際どいというか語彙的には明らかにアウトな話題が年がら年中出ますがそれを使って人のスタンスを否定しないから。
あくまで染色体の違いによる形質の違いのひとつとして体の性質を異にする同じ生物屋として、もっと決定的に体の性質を異にするモノたちのことを常に考えているから。
そして互いに高めあいどんなにぶっ飛んだ性格や思想の人であってもその人権を否定しないから。


そんなあなたに。


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