もうメジャー館での上映が終わるので

駆け込み、温存の無料クーポン利用で

TOHOシネマズ新宿へっっ

 

   沈黙 サイレンス

 

 

二度目、っていうのは、いっつもそうなんだけど、

マジ、眠くなっちゃうんだよね〜

それをわかってても、今度こそ大丈夫、と信じて

 

だって、もういっぺん観たい、っていうほどの作品だから

わざわざ寝るつもりで行きはしないじゃん

 

最近で言えば、一昨年か、

マイケル・キートンのバードマン、

いろいろ確認したかったのに、結局睡魔との激闘で終わった

 

そういえば、そのときもやっぱり、無料クーポン利用だった

無駄になってもよし、くらいの気の緩み???

いやいや、それだって、もったいないでしょ〜〜

 

が、今回もやっぱりね〜、

睡眠時間も関係ない、なんだろう、

いろいろ確認ポイントがあったのに、

 

ってか、そういう見方がそもそもいけないのかもっっ

一回目の純粋なワクワク感で観ないからなんだろうね

 

という反省というよりも言い訳をたっっぷり語ったところで

それでももちろん、寝ていたわけじゃない、

あくまで、睡魔との戦いがあった、という…また言い訳っっ

 

 

で、やっぱり思ったのは、

窪塚洋介の目がきらっきらしていたこととか、

リーアム・ニーソンの存在感が

この映画に厚みを与えていることとか、

いろいろ気づきというか再認識もあった

 

なにより強く感じたのは、カトリック、という思い上がり

 

弾圧する日本人の口を借りてはいるが、

このあたりが原作よりも、

スコセッシ監督が強く言いたかったことかと思う

 

拷問を受けるパードレが、自分をイエスに置き換える傲慢、

それに気付かせるのは、転んだ人間

本当に強い人間は、自分を強いと思っていない

本当の弱さをしっかりと自覚している人間

 

小さな日常の罪に心を痛めて告白する、

それを聞いて許しを与える、

そんなパードレという立場は、本当に神の代理人なのか、

神の代理として、

ひとの罪を赦すことなど本当に出来るのか、

 

そんな人間であるパードレに、

許しを請わなくてはならないキチジローの哀しみ、

見下されながら、口先の祈りを与えられる場面には

本当に心が痛む

 

裏切って、逃げて、また戻って、

それでも捨てられない、

信仰のかけらを手放せないキチジロー

 

そこに、沈黙ではなく、雄弁な神の愛を見てしまう

人間がその手で作ったものを拝んではならない、

とある聖書の真意は、人間という弱い存在を愛すればこそ

 

それを見抜くのが日本人の弾圧する側という皮肉も秀逸で

彼らをも悪人としていないところが心憎い

 

ってことで、二回目の睡魔との戦いにおいてもなお、

かなり考えさせられ楽しませていただいた作品、

ということは、さらに言い訳に付け加えておこうっと

 

 

 

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