23年前の今日、私は転勤先の西宮で阪神大震災に遭いました。
リビングにあったテレビは隣りの部屋まで飛び、キッチンの食器はミスドでもらったカップ以外は確か全部割れたと思いますショボーン





まだ3つだった息子は、恐怖で動けず声も出ずガーン





外に出てみるとガスの臭いが強く、周りを見渡すと凄い光景が…アセアセ





あちこちの建物が崩れ、とんでもない事が起こったと、取り敢えず両方の実家に電話電話





早朝だったため「何なのよムカムカ」と怒られましたが、あとで電話が全く繋がらなくなったようで、「あの時電話をくれたから、生きてる事だけはわかった」と言ってもらえました。





余震も続いていたため、自分の住んでいるマンションも潰れるかもと思ったら家に入れず、車で近くの公園へ星空





でも、ガソリンも補給できないので、何日も公園で過ごすわけにも行かず。
そんな時、とっても仲良くさせてもらっていた今では私の大切な親友が、嫌な顔一つせず私達家族を置いてくれたんですえーん





一緒に重たい水をもらいに行ったり(なぜかこの時大笑いしてたような記憶が…)、話をしたり、ご飯を食べたり。
こんな状況で笑えるなんて幸せだな〜って思ってましたねハート


息子も仲の良かった友達と遊べて、やっと笑顔に。


彼女のおかげですごく心強かったですし、本当に本当に有り難かったですラブラブ


彼女がいてくれなかったら、私達家族はどうなっていたか…
毎年、1月17日になると思い出します。




その親友も今年大きな病気をし、恐怖と闘いながら一生懸命頑張っていますメラメラ
彼女は西宮、私は東京なので、励ます事しかできないのが本当に辛いのですが、先日1つの山を越えたようで、私もちょっとだけホッとしました。





あの頃、私も難病になるとは思ってもみませんでしたし、彼女も同じだと思います。






でも、なってしまったものはしょうがないプンプン






これから10年後、

「震災や大病をお互い経験したけど、あの時病気になったおかげで、今はぼちぼち元気で健康ってこんなに有り難いって思えるんだろうね」

って、話せるようになれたらなぁ〜うーん





いや、それじゃ弱いビックリマーク
絶対にそうなるように、を頑張りますプンプン