あられの日記

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杉並さんぽ10-2 妙法寺祖師堂と仁王門

2018年06月17日 05時23分05秒 | 神社・仏閣
ジョサイア・コンドル設計の妙法寺鉄門見物に来たら東京都文化財ウィークの絵葉書があった。3種類も。
目的のジョサイア・コンドル設計の鉄門は国の重要文化財です。これに絵葉書1枚。
妙法寺祖師堂と妙法寺仁王門は、都指定有形文化財に指定されており、絵葉書2枚。
ということで、まずは祖師堂見学へ(トップ画像)。

正面見上げて。

更にアップ。

正面柱の銅彫刻。

振り返り、青銅製の燈籠一対。
燈籠の足元が面白い。
祖師堂の右奥に本堂があるので進む。

祖師堂から御成の間へと回廊が渡してある。

祖師堂はピカピカです。見上げたら鬼がいた。これ、雑司ヶ谷の鬼子母神も似た感じの造りだったなあ。
東京都文化財ウィークの絵葉書によりますと、都指定有形文化財(建造物)妙法寺祖師堂 指定:昭和35年2月13日
江戸時代後期に、「堀之内の厄除けお祖師様」と喧伝され、多くの参詣者を集めた日圓山妙法寺は、明和6年(1769)11月の火災により、諸堂宇とともに多くの記録も焼失し、それ以前の詳しい寺史は不明です。
妙法寺の中心をなす祖師堂は、2枚の棟札から、火災後早くも明和9年(1772)に再建されたものの、損朽が激しかったためか、文化9年(1812)大工棟梁:山田興兵衛樹孝)に改めて建立されたのが今日残る祖師堂です。
祖師堂は南面し、桁行(間口)5間(17.50メートル)、下陣を含む梁間(奥行)7間(26、88メートル)、四周に高欄付縁を巡らせています。屋根は入母屋造りの本瓦形銅板葺で、前面には間口3間の唐破風付き向拝を、背面には入母屋破風を備えています。
内部は前面から内陣・内内陣・後陣を中軸線上に配し、それぞれの両脇に東西脇陣を設けた9間から構成されています。中央の内内陣には、来迎柱の前に須弥壇が置かれ、荘厳な装飾が施されています。
なお、明和9年の建立に際しては、彫刻に残された墨書から、再利用可能であった彫刻類が転用されたことも明らかになっています。また、2枚の棟札が付として指定されています」
青銅の燈籠の画像の奥に写ってるのが妙本寺仁王門です。

中から外に向かって撮影。

外から中に向かって撮影。

入り口左右に仁王像が置かれてます。
東京都文化財ウィークの絵葉書によりますと「都指定有形文化財(建築物)妙法寺仁王門 指定:昭和40年3月31日
この3間1戸、楼門形式、入母屋造り、本瓦葺。潜り戸及び左袖塀付の仁王門は、当初は鐘楼門として天明7年(1787)に建立されました。
下層は桁行(間口)7.7メートル(通路の中央間3、3メートル)、梁間(奥行)4、5メートル、正面両脇2間に仁王像を安置し、背面は吹き放しとなっています。高欄付きの縁を巡らす上層は、桁行7、1メートル(通路の中央間3、3メートル)、梁間3、8メートルの室内正面に厨子入り釈迦如来坐像を安置し、背面に付の板本尊を置いています。
この門を特徴つける一つに、多様なテーマを精緻に表現した彫刻を挙げることができます。下層頭貫上のかえる股の15種に及ぶ彫刻、頭貫木鼻の獏・獅子・象の彫刻、上層四隅の隅木下の龍の彫刻群は、祖師堂の彫刻と類似し、大工棟梁脇田与兵衛定元等の高い技術水準を示します。
門内に安置されている仁王像は、万治年間(1658−1661)に4代将軍徳川家綱が千代田区麹町日吉山王社に寄進したものと伝えられ、明治元年(1868)に妙法寺に移され、増長・広目二天像と入れ替えられたものです。仁王像が妙法寺に移されたのは、かつて堀之内が日枝神社領であった関係さらと推察されます」
もうちょっと仁王門をじっくり見とくんだったなあ。祖師堂もお勤め中で外からちらっとしか見なかったのもったいなかったわ〜。疲れ果ててる時に見ても頭に残らないよ。失敗した。明日はついでなので、妙法寺さんの他の建物も紹介します。

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