発達障害が、障害ではなかった時代。
周囲からは「個性」として
扱われてきたかもしれないけれど、
だからといって、「個性」として
周囲に受け入れられてきた訳でもありません。
親の躾が悪いからだ。
ただ、怠けているだけだ。
ただの甘えだ。
本人はもちろん、親たちも
周囲からそう言われ続けてきた
辛い歴史があります。
それは、発達障害という概念が生まれた
今の時代も、そう大きくは変わりません。
「個性」として周囲に受け入れられるのなら
こんなに有り難いことはありません。
しかし、現実はそれが叶わない。
だからこそ、発達障害が障害と呼ばれる理由
そのものなのだと。
発達障害を理解してほしい
それを周囲に求めるには、
現実問題として、少々無理があります。
世間に理解を求めたところで無理があるし、
その必要もないと、私は思う。
発達障害って、聞いたことがある。
そういう障害があるんだね。
その程度で十分。
もしも、願いが叶うのであれば
発達障害であることを周囲に公言しても、
不利益を受けることがない社会。
温かい目で、見守ってくれる社会。
発達障害について理解して欲しいと願うのは、
教育や福祉、医療に関わるプロの支援者の方々。
周囲への理解を求めるよりも、
発達障害を知らない人たちに、
誤った知識や偏見を植え付けないで!
一人の親として、私はそういう気持ちの方が遥かに強い。
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