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被爆直後の長崎で、ご自分の身も顧みず被爆者の救護にあたられた医学博士・永井隆先生。
43年の短いご生涯は、「己の如く人を愛せよ」と説く新約聖書の教えそのままの生き方でありました。
私が被爆をしましたのは、長崎医科大学附属医院物理的療法科で婦長を務めていた22歳の時です。
地下で書類の整理をしていたところ、突然ピカーッと目を射るような閃光が差し、爆風で吹き飛ばされたかと思うと、激しく床に叩きつけられていました。
瓦礫の山をやっとの思いで這い出すと水道の蛇口が爆風で開き、豪快な音を立てて噴き出しています。
あまりの息苦しさにゴロゴロとうがいをしました。
高い薬局の塀を攀じ登ると、顔じゅう血まみれになった永井先生が「まごまごしていると焼け死ぬぞ」と懸命に救出の指揮をとられています。
火の手はすぐそこまで来ていました。
「早く逃げましょう!」
そう言った私に、先生は「一大事とは今日唯今のことなりーっ」と掠れた声でおっしゃるではありませんか。
私たちが日頃積んできた厳しい訓練の成果はいまここで発揮されるのだ、私にはそうおっしゃっているように思えました。
■地獄絵図
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その後、見た光景は地獄絵図さながらです。
茎だけになった芋づるを全身にぐるぐる巻きつけている人、
皮膚が地面まで垂れ下がり、真っ黒な体の上から血を流している人……。
先生のこめかみはガラス片で奥深く切られ、押さえていた指を離すと、ピューッピューッと血の飛び出る始末です。
その上、被爆の2か月前に白血病を患われ「余命3年」の宣告を受けられていたお体でもありました。
それにもかかわらず、先生はあの極限状況下でまったくご自分の身は顧みることなく、呼吸が苦しくなれば地面に仰向けになって心臓を押さえ落ち着きを取り戻されるなど、ふらふらの足で何回も立ち上がっては救護にあたられるのです。
また先生は戦地へも2度行かれていたため、組織のあり方とは何かを実によく心得ていらっしゃいました。
病院からちぎれて飛んできたシーツを木片に括りつけ、そこにご自分の血を擦りつけて“日の丸”を染め上げ、角尾学長のそばに立たせると「大学の職員ー、事務局、看護婦、医局の学生、みんな集まれー!」と本部の位置を示されました。
そして「さぁみんな元気を出せ。男子は負傷者を収容する小屋を。女子は炊事係!」と震える声で叫ばれました。
そうして集まった医局の連中で、急遽、組織的な救護活動が始まったのでした。
一方、私が気になっていたのは先生のご家族の安否です。
被爆直後、私は何度となく「奥様は大丈夫でしょうか。お帰りになってみてはいかがでしょうか」と申し上げました。
しかし先生は決して首を縦には振られません。
3日後、自宅の台所のそばで
真っ黒く焼け爛れて亡くなられていた奥様の姿を、どんな思いで見つめられたことでしょう。
■病床にて執筆活動
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終戦後、先生はカトリック信徒から贈られた畳二枚の小さな庵を「如己堂(にょこどう)」と名づけてそこで寝起きをし、病床から『長崎の鐘』や『この子を残して』などの本を10数冊書いていかれました。
また、医師でありながら文化面に大変造詣が深く、焼け跡の庭で子どもたちにお茶やお花の指導をされたり、俳句や和歌をお詠みになったり、豚や牛のユーモラスな絵を交えて平和の大切さを訴え続けておられました。
やがて執筆した本が世に出るにつれ、全国からひっきりなしに面会者が訪れるようになりました。
しかし病はますますひどくなっていきます。
呼吸をするのも苦しそうでした。
それでも先生は弱音は一言もおっしゃらず、どんな方とも分け隔てなくお会いになるのです。
枕元にうつ伏せになりながら原稿に向かわれるのは、夜中の2時、3時、教会の鐘の音が響く朝5時30分までということもたびたびありました。
それによって得た本の印税で、浦上の丘に千本の桜を植え、近所の子どもたちのためには私財を投じて図書室をつくられるなど、
「人のためにお金を使いなさい。自分がしてもらいたいように人にしてあげなさい」と言われるお言葉通りの生き方をされていました。
■平和を語り継ぐ
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永井先生は生前、お書きになった本の中で「核は持ってはいけない。戦争は絶対にしてはいけない」と繰り返し述べられています。
ご自分のお子様二人にも「最後の一人になっても、戦争の話が出たら反対するのだよ」といつも言い聞かせておられました。
それなのに、いまの世の中はどうでしょう。
先生は「喧嘩はしてもいいけれど、意見が合わなければとことんまで話し合いなさい。お互いの人格を認め合えるよう、愛の気持ちを大切にするのだよ」とおっしゃっていました。
お互いに助け合い、悲しみ合える優しい心を育て、仲良く共存できる社会をつくるよう力を合わせていくべきではないか、と私も考えます。
現在もそんな私のする話を聴きに、修学旅行生たちが訪ねてこられます。
そんな時、私はほとんどお断りをせずお引き受けし、突然の依頼であってもできる限りお話をさせていただくようにしています。
永井先生が病臥にありながら、訴え続けてこられた平和の尊さ、命の大切さ。
82歳のこの年まで生かせてもらえた命に感謝しながら、子どもたちが幸せな生活を送れるよう、今後も精いっぱい平和の尊さを語り継いでいきたいと考えています。
『致知』2006年11月号「致知随想」より
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