知里ちゃんが、母の優しい手に気付いたのは四年生のときだった。
母が義父にあたるおじいちゃんを病院に見舞ったときのことだ。
祖父七十二歳。
四年前に、がんセンターで大手術を受けた。
このごろ陶が苦しくて、さすってもらうようになっている。
「背中さすりましょうか」と母。
「すまんな。ああ気持ちいい」と祖父は目を閉じていた。
と、突然苦しく吐きそうになる。
お父さん!だいじょうぶ?
口元にさっと母の手が差し出された。
「遠慮せずに吐いて。さあ早く」。
両手でおじいちゃんの吐いたものを受け取った。
知里ちゃんも思わず手を出し「おじいちゃん出して」。
帰り道、知里ちゃんは言う。
「普通ならごみ袋、ごみ袋って言うと思うの。お母さん偉い。」
家で父と話す。
「うん、お母さんには頭が下がる。実の親子でもなかなかできんね。」
母が言う。
「何が気持ち悪いの。お母さんが小さいとき、茜部(実家)のおばあちゃんも、おじいちゃんのおむつの世話してたのよ。」
父は母の手をぎゅっと握った。
知里ちゃんは言う。
「お母さんの手は世界で1番奇麗な手です。」と
『お母さんのやさしい手』という題で、知里ちゃんは、これを作文に書いています。
汚物が入った手は、目に見える世界では奇麗だとは言わない。
しかし、この女の子には、その手はお母さんの心を表した、大変奇麗なものに見えたのです。
こういうことをわかる人間でありたいと思います。
その上で、ひとのために尽くすときには、ローソクのようでありたい。
ローソクというのは、他のローソクに火を移しても、決して自分が暗くなることはないのです。
自分に与えられた命、炎をずっと燃やし続けていく。
周囲を明るくしながら、伝えながら・・・
そんな思いを、小学校六年の女の子が、こんなふうに作文に書いています。
『生きることの尊さ』という題です。
先生にお父さんのいない子の話をしてもらいました。
私もお父さんを交通事故で亡くしました。
だから作文を書いた子どもの気持ちがとてもよくわかりました。
「あなたのお父さんはどんな仕事をしているの」と聞かれると胸が裂けそうになるほど辛くなります。
でも我慢して「お父さんいないのよ」と言います。
そうするとみなが「嘘でしょう。嘘でしょう」と言います。
嘘ならどんなにいいだろう。
嘘ならどんなにいいだろうとそう思います。
だけど家に帰ってみるとやっぱりお父さんはいないのです。
何故だかしらないけれど、ものすごく寂しくなることがあります。
手を引いて歩いてくれたお父さん。
肩車をしてくれたお父さん。
私の心の中に今も生きているのに、どうして声を出してくれないのですか。
きっとお母さんを大事にします。
そしてお父さんに喜んでもらえるローソクのような人間になりたいと思います。
きっときっと、お母さんを大事にしますから。
「自分が好きですか」林 覚乗 著 西日本新聞社より
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