あるきメデス

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石神井公園周辺の社寺を巡る(東京)

2015-04-17 22:45:25 | ウオーキング
 2015年4月16日(木)午後

 練馬区立美術館で「小林清親展」を観た後、西武池袋線の中村橋駅から下り電車で2駅
乗り、練馬高野台(ねりまたかのだい)駅で下車した。


 13時54分に駅を出て、西側を南北に走る都道443号・笹目通りを北へ、順天堂練
馬病院に沿って進む。
    

 病院の北側には、「この土地が区立石神井(しゃくじい)東小、東中、総合教育センタ
ー跡地」との記念碑があり、傍らのムラサキモクレンが咲き残る。
    

 その北側を少し入ると長命寺がある。長命寺は、慶長18年(1613)後北条氏の一
族増島重明の開山。寺域は紀州高野山に倣ったもので東高野(ひがしこうや)、新高野と
呼ばれ、幕府から9石5斗の御朱印を受け、府内八十八か所17番霊場になるなど、関東
有数の庶民信仰の霊場になったという。


 りっぱな山門には、大きな増長天と広目天が仁王立ちしている。広い境内には伸び伸び
と育った高木が多く、正面に大本堂が構え立つ。


 山門を入った右手に新しい十三仏の石像が並び、背後の鐘楼に下がる慶安3年(1650)
銘の梵鐘は、練馬区内最古という。


 境内には、木造地蔵堂↑や観音堂↓、弘法大師を祭る御影堂などが散在している。


 本堂の近くには「姿見の井戸」と呼ばれる深井戸があり、昔から「この井戸の水に顔が
写れば長生きする」と伝えられているとか。
    
 私ものぞき込んで深い底の小さい水面をよく見たら、どうやら顔が確認できた。

 本堂前の八重のシダレザクラは、5分咲きくらいか。
   

      
 境内には、ともに「ねりまの名木」となっている、樹高34m、幹の太さ4.4mのイ
チョウ↑や、樹高22m、幹の太さ2.5mのシラカシの古木もあり、大師堂前のモミジ
は、やわらかな新緑が始まっていた。

 境内南面を少し西進して西武池袋線の高架下を南に抜け、石神井一丁目の住宅地に入る。
石神井川沿いに並ぶ都住宅供給公社の中層団地にあった小公園の、ヤエザクラが見頃に。


 南田中(みなみたなか)橋で石神井川を渡る。両側に続くソメイヨシノの並木は、すで
に葉桜になっている。


 南側は南田中五丁目、小さな斜面林の「南田中稲荷憩いの森」から「練馬区立塚越の森
緑地」に回ると、シャガが咲き出していた。


 その横を上がって西に回り込み、南田中稲荷天祖神社境内へ。稲荷神社は右手の小さな
社殿。

 大きい方の天祖神社際の白いサクラが見頃、そばの民家のシャクナゲも咲き出していた。

 南東に延びる旧道沿いに、榎本家長屋門がある。江戸時代末期の建築と推定される旧田
中村の名主役宅の門だというが、説明板などは無い。



 笹目通り近くまで進んで南田中四丁目に入り、観蔵院に行く。広い境内は数知れぬ樹木
に覆われ、東向きの本堂も木々に遮られて全貌は撮りにくい。



 境内あちこちにシャクナゲが多く、何れも花は見頃になっていた。
    

        

    
 樹の下にはクリスマスローズが咲き、シダレザクラやミツバツツジ、シロバナズオウ↓
も花を見せ、モミジの若葉もよい彩り。
        

    

 住宅地に囲まれた一角に、このような緑あふれる空間があるとは知らなかった。

 境内には2基の「筆子供養塔」がある。宝暦12年(1762)と文化5年(1809)
のもので、区内では古い部類の筆子碑とか。
        
 かつて観蔵院で寺子屋が開かれ、近隣の子どもたちの教育に寄与した恩師が亡くなった
ときに、師匠の菩提を祈って教え子たちが建立したものだという。

 寺の前を少し西進したところに、「おくらやま憩いの森」と呼ぶ、土地所有者が区民に
開放している竹やぶが残っている。

 江戸時代この辺りには、年貢米を保管したり凶作に備えて穀類を貯えるための穀倉があ
り、「おくら」と呼ばれていたことから名付けられたようだ。

 南田中小の西に広い境内の十善戒寺があり、幼稚園が併設されているようだが、境内は
一周する塀に囲まれていて入れない。幼児園児の犯罪防止のためのようだが、このように
全く閉じられた寺は珍しい。

 さらに下石神井三丁目を西進して石神井川の豊島橋を渡り、突き当たったY字路の北側
にある禅定院(ぜんじょういん)へ。

 禅定院は、豊島八十八ヶ所第70番霊場。「新編武藏風土記稿」によると、寺は約600
年前、願行上人により開かれたとか。

 文永年間(1818~30)の火災で建物や記録などはことごとく焼失したが、境内に
ある応安(1368~)、至徳(1384)年号の板碑により、創建の古さがうかがえる
という。

 現在の本堂はコンクリート造り。本堂前や山門横のシダレザクラが咲き残る。


      
 境内には、「ねりまの名木」で樹高7m、幹の太さ2.1mのヒヨクヒバが立ち、現在の
石神井小の前身で、明治7年(1874)にここの堂于を用いて開校した豊島小学校のこ
とを記した記念碑もある。
        


 本堂に向かって右手の鐘楼はかやぶきの屋根、本堂前には「キリシタン灯籠」と呼ぶ、寛
文13年(1673)銘の石灯ろうが残されていた。
        

 門前のバス道路を寺の北側に回り込み、都立石神井公園に入る。公園の東南端の辺りに、
「石神井公園記念庭園」の説明板があり、大正初期に開設された第二豊田園ゆかりの地と
の説明と写真があった。

 石神井村の元収入役だった地元の資産家・豊田銀右衛門により大正5年(1916)頃
に造成された「第二豊田園」という庭園の後のよう。

 庭園は静かなたたずまいの池を中心に、豊富な広葉樹に覆われている。私は、石神井公
園駅の近くが最初の職場だった半世紀以上前から、何度も石神井公園を訪れていたが、こ
のような場所があったとは全く知らず、今日の一大発見の地である。

 近くのヤマツツジが花盛り。


 通称「ボート池」と呼ぶ、石神井池の東南端付近に回ると、チューリップが色鮮やかに
咲く。



 対岸に、緑濃くなってきた何本ものヤナギなどを眺めながら、池に沿って西に向かう。


 中の島の横を過ぎると、池の中にコンクリート造りの彫刻が立っている。
      

 池の南西端近くまで進んでいったん池を離れ、南側台地にあるコンクリート造りの稲荷
諏訪合神社に参拝したが、特に目に付くものはなかった。


 神社の南側には、近年入館したことがある「石神井公園ふるさと文化館」があるが、そ
の東側にかやぶき屋根の家が見えたので回ってみた。

 一帯は、区の登録史跡「池渕遺跡」を埋め戻し保存整備したという「練馬区立池渕史跡
公園」。


 かやぶきの家は、区内中村三丁目から移築された区指定文化財の「旧内田家住宅」で、
明治20年代の建築と推定され、一部に江戸時代の古在も使われているという。


 中に入ってみたらかなり大きな建物で、幾つもの部屋が配置されていた。


 池渕遺跡からは、旧石器時代の石器ブロックや、縄文・弥生時代の竪穴住居跡、中世の
溝などが発見されたとか。

        
 周遊する園路沿いには、区内各所にあった庚申塔や馬頭観音、道しるべ、力石などの石
造物が配置されている。
        

 公園の中央部には、縄文時代の竪穴住居跡が円形に整備され、柱の位置を示す棒が立っ
ている。


 公園西側のボケが、鮮やかな彩りの花を見せ始めていた。



 16時半を過ぎたので、石神井公園ふるさと文化館の観覧は省き、石神井池の北に回っ
て東に向かって折り返すと、カンザン(関山)と呼ぶヤエザクラが見頃である。
    


 回ってきた池畔を対岸に眺め、中の島の先まで進んで石神井六丁目の落ち着いた住宅地
に上がる。


 石神井三丁目の駅前商店街を経て、16時55分に石神井公園駅に着いた。


(天気 晴後曇、距離6㎞、地図(1/2.5万) 吉祥寺、歩行地 練馬区、歩数
 12,400)




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