あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

続カタツムリ歩行で東松戸駅周辺を巡る(千葉)

2017-04-17 16:12:21 | カタツムリ歩行
 2017年4月16日(日)

 快晴で首都圏でも25℃前後になるとの予報の今日、続カタツムリ歩行の第43回例会
に参加した。集合はJR武蔵野線と北総鉄道の東松戸駅。Iさんと一緒に9時58分にス
タートした。


 駅の東北側に回って北総鉄道の高架下を少し進んで、新興住宅地の中にある中央公園へ。
広い芝生地が広がり、その中に若木のソメイヨシノの並木があるが、花の残る木は少ない。


 東側にあった「Arche Charite(アルシュ シャリテ)」とよぶマンションは、建物に対し
て敷地がかなり広く、緑が豊富で公園のよう。


 グランドなどのある東松戸ゆいの花公園の横から、北総鉄道の堀割の上を越えて南に向
かう。400m余り進んで、松戸市と市川市との市境を延びる平地林沿いの細道に入る。


 ところが、市民農園の先で道が途切れた。木の茂る斜面をやぶこぎして上がると↑、広
い畑に沿って土の道があったので進んだが、やはり畑の南端で道は途切れ、その先の林に
は入れない。畑を戻り、東側の車道に回った。






 この道の両側にはナシ畑が多く、みな花盛り。ブルーベリー畑もあり、先着のDさんな
どが持ち主と話していたので先行する。
       

 南東側のT字路で国道464号に入ると交通量が多いが、細い歩道は付いている。南西
に向かう国道沿いもナシ畑が続き、梨園の建物や看板も多い。


    

 市川市から松戸市に戻った辺りのナシ畑では、家族総出で授粉作業をしていた。


 帰宅後に地図を見直したら、進んだ国道の反対方向、大町の周辺はナシ畑ばかりで、市
川市のナシの本場のようだ。

 JR武蔵野線の堀割を越えて国道に分かれ、武蔵野線の西側に平行する車道を北進する。

 咲き残るソメイヨシノもあるが、一帯は広々とした畑作地帯で車も少なく、駅周辺の高
層マンションなどの建物群だけが場違いな感じ。




 畑の中にはブロッコリーのナノハナが咲き、倒れたキャベツから出たナノハナも咲いて
いる。


       
 駅近くまで戻り、紙敷(かみしき)の古くからの住宅地に入る。民家の庭にグミらしい
花が、畑にはタンポポが咲く。
    

 空き地となった湯浅家の門を入り、敷地を横切ってショートカットして胡録神社に行く。

 正面に胡録神社の拝殿があり、左手前には小さめのお堂の八坂神社も祭られていた。気
温が上がりのどが渇いたので、小休止して水分補給をする。
       

 鳥居横にある紙敷向消防センターの建物は、ほかの消防団の建物に比べて頑丈な感じの
造り。鳥居を出てすぐの民家には、郵便局の古い赤ポストを転用した緑のポストが立って
いた。
       

     
 緑豊富なこの家には、小花の桜が咲いていた。紙敷のこの辺りは湯浅姓が多いようで、
あちこちに「湯浅」の標札が目に付く。

 近くの畑に「紙敷貝塚」の標柱が立っていた。昭和35年(1960)に坂詰仲男博士
の調査により、縄文時代中期(約4,500年前)から後期晩期と続く長い間、人の住んだ
跡のある遺跡と確認されたという。
 


 東松戸駅の南西側、駅にほど近いところにある傳法寺へ。本堂前の大きなシダレザクラ
に残る花はわずか。10日ほど前はさぞかしきれいだったろうと思われた。
     

 西に回って交通量の多い県道58号・市川柏線に出た。北総鉄道の高架下を抜けて西に
回り込み、広龍寺に西側の山門から入る。


 よく整えられた境内に咲き残るソメイヨシノもあるが、法事の方々が立っておられたの
で拝観は止めてすぐに門を出た。


 門前には幾つもの石塔が並び、その中央部に大きな庚申塔が立っていた。
     
 帝釈天を主尊とする庚申塔では県内最古のもので、嘉永5年(1852)の銘があり、
塔身高191.5㎝、中央に帝釈天像、その足下に2童子、泥石には瑞雲と3猿、2鶏が
刻まれていた。


 さらに少し西北に回り込み、ゴールの春日神社には11時53分に着いた。拝殿横には
芽吹き始めたイチョウの古木が、石鳥居のそばにはまだ枯れ枝のケヤキの高木が立ってい
た。
     


 拝殿の左手で昼食を済ませ、記念撮影とミーティングをして、12時50分に散会した。

 
 散会後は、ミーティングで男性のIさんが説明された訪ねた寺社などの中で、行かなか
った場所を回ることにした。午前同行のIさんも回るというので一緒に神社を出た。

 神社の階段を下りて東へ、最初の十字路を左折して北西すぐ近くにある真隆寺に行く。

 午前中に回った2つの寺と同様、ここも日蓮宗の寺院。新しい山門を入ると正面に本堂
がどっしりと構え、右手には六角堂がある。




 本堂や庫裡(くり)の前の庭木はきれいに手入れさ、境内のソメイヨシノは葉桜に変わ
っていた。


 次の三差路を左折して西へ、一帯は紙敷集落の古くからの農家の広い屋敷が続き、重厚
な門を構えた長屋門の家もある。

 その先の豊富な木々に囲まれた旧斎藤邸には、かやぶき屋根の古民家が残るが、門は閉
ざされ、両側の生け垣の上からのぞいても、かやぶき民家の全体像は見えない。

 庭を含めて公開を期待したい。

 近くに野菜販売の無人小屋があり、ダイコンやキャベツ、ジャガイモなどのほか、タラ
の芽もあり、Iさんは求めた。
    

 そばの民家のムラサキモクレンは、たくさんの花を見せている。



 少し先に、かやぶき屋根にトタンを被せた家もあり、玄関先にフジの古木が花芽をふく
らませていた。


 先ほどのタラの芽を育てたらしい畑を過ぎると、家並みが途絶えて畑が増える。
    
 花咲くクヌギ並木の続く土道を過ぎ、次のY字路を右に入り、以前は田んぼだったらし
い雑草地の間を流れる潅漑用用水路沿いに出た。

 花を残した若木の桜並木が続き、上流側の橋を渡って対岸の交通量の多い道路を越えて、
段丘下に回った。少し東進すれば、段丘上に次の目的地の河原塚中があるはずだが見当た
らない。

 Iさんがスマホで位置を確認したら、どうやら目的地より先の別の流れ沿いに出たらし
い。入るべきY字路を見逃し、少し先まできてしまったようだ。近くに見えた寺院からも
場所を確認し、河原塚中の建物も見えた。

 学校に向かうため、流れを渡り返して東方へ。周辺の堤防にはナノハナが咲き競い、流
れにはカルガモの親子が泳いでいた。
    

 縄文時代早期末~中期(約7,000年~4,500年前)の遺跡という「下ノ宮遺跡」
の標柱の立つ囲まれた整理地の横を過ぎる。
       


 平地林を背にした畑の、シダレザクラや若芽の木々を見ながら進んで調整池の横を通過
し、台地上の河原塚中に東側の校門から入る。
    

 校舎の北側に、下部をコンクリートタイルで補強した円墳のようなのが残されており、
これが最後の目的地、河原塚4号古墳だった。

 古墳時代後期初当の円墳で、直径約20m、高さは約2.5m、周溝内からは土師器
(はじき)、壺(つぼ)や甕(かめ)どが発見されたという。見た目の高さは10m前後
はありそうで、高さの数値は違うように思われる。そばのシダレザクラはほとんど散って
いた。


 下の道路に戻り、ソメイヨシノの咲き残る民家前からY字路を右に入って、JR武蔵野
線に平行する県道51号を南下し、14時27分に東松戸駅に戻る。14時34分発府中
本町行き武蔵野線上り電車で帰路についた。

(天気 快晴、距離 5+3.5㎞、地図(1/2.5万) 松戸、歩行地 松戸市、
 市川市、歩数 16,700)





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