あるきメデス

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続カタツムリ歩行で岩槻を歩く(埼玉)

2014-11-18 21:51:39 | カタツムリ歩行
 2014年11月16日(日)

 JR武蔵野線沿線やその周辺の駅から、半日だけをカタツムリのようにゆっくりと歩く、
「続カタツムリ歩行」の第19回例会に参加した。

 集合は東武アーバンパークライン(野田線)の岩槻駅。駅舎は改築中で、ホームから改
札口まで少し迂回するところもある。

      
 10時ちょうど、駅前のからくり時計の塔が開き、岩槻名産のひな人形が動き出す。そ
れを見終えて10時8分に駅前をスタートした。
          

 駅前広場の東側、埼玉りそな銀行のウィンドウに、「ミミズク土偶」と呼ぶ人形が飾っ
てある。
        
 近くの真福寺(しんぷくじ)貝塚から出土した、人間の姿を模したした素焼き人形(土
偶)で、その顔がミミズクに似ているので、ミミズク土偶と名付けられたらしい。


 線路に平行する道を東北ヘ向かう。すぐ先に矢作(やさく)人形店があり、ウィンドウ
をのぞくと、下がりひな人形がたくさん吊されていた。
        

 その下のシクラメンは、大きな花を開いている。


 踏切を通過する国道122号の線路際に、板張りの小さな社殿の三社宮(さんじゃぐう)
があり、横にさらに小さいお宮も並んでいた。狭い境内には、サクラが1本だけ立つ。


    
 国道沿いにはりっぱな蔵造りの建物があり、傍らの皇帝ダリヤがきれいに咲く。
        

 その先を左折して線路際に回り込むと、盛土の上に愛宕神社が祭られている。創建時期
は不明だが、江戸時代初期の「武州岩槻城図」には記されているとか。
     

 境内にはほかに松尾神社など3社あり、愛宕神社のある高みは、岩槻城と城下町の境と
なる大構(おおがまえ)と呼ぶ土塁の、わずかに残る貴重な遺構だという。

 長い参道の途中からV字状に折り返し、その先の線路際を少し進んでコの字状に回り、
岩槻小のそばの大龍寺の山門を入る。


 大龍寺は、徳川3代将軍家光の御守役だった岩槻城主青山伯耆守忠俊が開基した寺とか。


 どっしりした山門も大きな本堂も、最近改築したようで新しい。


 山門にも本堂にも、寺号のごとく精巧な龍の木彫が施されている。
    

 本堂の前には道元禅師立像があり、境内のジュウガツザクラが見頃に。
 

 参道の国道近くには、享保10年(1725)造立の青面金剛塔が立っていた。

     
 参道を出た県道2号に面して、「はくせいの家」の看板のあるのをDYさんが見つけた。
店内をのぞいたら、入るよう勧められたので遠慮無くおじゃまする。

 店内には、鳥のはくせいを中心に小動物のはくせいが数え切れないほど並んでいる。そ
の中には日本にいないヒョウやシマウマの顔などもある。
     

        

 熊やネズミなどの頭蓋骨も幾つか飾られていた。


 店主のKTさんは1935年生まれ、ご自身で狩猟ををされていて、とった動物や東武
動物公園から入手したものなどをはくせいにしていて、もう40年余りになるという。店
内には、警察などからの感謝状が何枚も飾られていた。

 ちなみに、はくせいはすべて販売しているが値札は無く、お客さんとの交渉次第のよう
で、小さい鳥の値を聞いたら5,000円とのこと。奥様がお茶まで出して下さり、恐縮
していただいてから店を出る。

 県道を歩き始めたら、バケツにいっぱい柿を入れた男性が声をかけてきた。
  
 県道の南側、旧岩槻市役所横のお宅のSTさん。400坪の敷地に4~5本あるという
柿の木の甘柿を採って持ってきたもの。

 幾つでも持って行きなさいと言われ、その場でさっそくいただいて口に入れる。お歳は
86歳とのことだが、そうは見えない若々しいお顔と体つきである。
    

 ご自身は絵も描いておられるとのこと、DYさんが撮った写真を送るからと話したら、
絵を1枚あげるという。DYさんはご自宅にお邪魔してサイン入りのセミの絵をいただい
てきた。
        

 立て続けに2つの、思いがけぬ出会いだった。


 県道は近年拡幅されたようで、広い歩道が設けられていて電線は地中化され、見通しの
よい町並となり、わずかながら古い建物も残っていた。


 次の信号を渡り右折して南へ、住宅街を少し進むと岩槻のシンボル「時の鐘」が見えた。
岩槻城下の時の鐘として、城主阿部正春(あべまさはる)の命で寛文11年(1671)
に鋳造されたとのこと。
     
 城内渋江口に設置された時の鐘は、城内や城下の人々に時を知らせていたがひびが入り、
50年後の享保5年(1720)に改鋳したのが現在の鐘とか。江戸時代後期には、1日
に12回時を告げていたようだ。

 この例会で6月15日に訪れた川越の時の鐘と比べると、鐘はこちらがかなり大きいが、
鐘楼の高さは川越の方が高かった。  参考に、こちらが↓川越の時の鐘。
                     

     
 鐘楼の傍らにイチョウの古木が高く伸び、その下には文字は読みにくいが「岩槻城址碑」
がある。
        

 時の鐘の横の通りは「広小路」と呼び、侍屋敷のあった通り。すぐ先のT字路を左折し
てひとつ東の通りに回り、岩槻商高の先で更に左折して正面の諏訪神社境内に入る。

 諏訪神社の創立年代は不明のようだが、岩槻城守護の軍神として信濃国諏訪上社より勧
請(かんじょう)され、城主や家臣の祈願所になっていたという。

 「本殿は江戸時代前期の建造」などの説明板があったが、現在はコンクリート造りにな
っており、近年改築されたものと思われる。

 神社の左手を下り2つの野球グランドの間を抜けて、ゴールの岩槻城址公園に入る。
ゴール場所はピクニック公園になっていたが、公園内の地図にその場所は記されてない。

 公園を貫く車道を少し進むと、移築された長屋門形式の「岩槻城城門」が残されいた。

 明治の廃藩置県に伴い廃止された岩槻城内から撤去されたのを、昭和45年(1970)
に移築したもので、岩槻城建築の数少ない遺構として貴重なものという。


 その横を入り、朱塗りの橋の架かる池の横から左に少し回り込む。噴水の上がる別の池
のそばの、フジ棚付近に12時25分に着きゴールとし、昼食をする。


 食事中に、先着していたらしいほかの皆さんも全員集まってきた。


 穏やかな日和に誘われ、広い公園内には家族連れなどの姿が多い。フジ棚のそばにもか
らくり時計塔があったが、13時になってもからくり人形は動かなかった。
     


 昼食を終え、記念撮影とミーティングをして、13時15分頃散会となる。

(天気 晴後快晴、距離 3㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、歩行地 さいたま市岩槻区)

 
 この後私は、市内の他のエリアを回ったが、そのレポートは別途とする。




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4 コメント

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さすがに・・・ (junjun)
2014-11-19 03:38:21
レポートはこうでなくちゃ・・・ ですね。 写真もどれも的を射てきっちり撮られているし、きれい・・・。 
さすが!と思いました。
写真と情報 (saikoroat)
2014-11-19 10:34:44
レポート作りのためには、たくさんの情報が必要なので、
気の付いたところはどんどん写真を撮り、社寺や旧跡などの
説明板の内容も出来るだけ撮るようにしています。
フィルム時代と違って、何枚でも撮れるデジカメはありがたいですね。
歴史ある街 (こんちょ)
2014-12-27 16:10:23
saikoroat さん、こんにちは。
11月の例会は所用で参加できなかったのですが、12月例会でのDさんのお話とはく製屋さんの写真がつながりました。色々な出会いがあったのですね。
岩槻が城下町だということを初めて知りました。川越のように寺院が多かったり、時の鐘があったり、城址公園の朱塗りの橋もステキでした。
機会があればいつか行ってみたいですね。
岩槻の街並み (saikoroat)
2014-12-28 15:22:54
Dさんのお話の、はく製やさんと柿をもらっい絵もいただいたことは、
連続した出会いで、今年のカタツムリ歩行でも
1番の思い出になりました。
岩槻の街並みは、川越のように蔵造りの家並みが続くというような
ところはありませんが、町のあちこちに江戸や明治をしのばせる民家や商家、寺社などがあり、
川越とともに埼玉県では少ない、城下町らしい雰囲気が味わえます。

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