あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

東村山、野火止用水とその周辺を歩く(東京)

2014-09-15 23:00:24 | ウオーキング
 2014年9月15日(月・祝)

 今日は「敬老の日」、私も市内小手指(こてさし)地区で行われる敬老会に参加出来る
のだが、どうもこういう催しには行く気にならず、それよりも久しぶりに市外のウオーキ
ングに出かけることにした。

 遠出のウオーキングは夏の間ご無沙汰していたので、まずは近くからと、所沢市とは都
県境の狭山丘陵や柳瀬川で南に接する東村山市を回ってみようと思い、入手してあった
「東村山こころの味 里に八国」という東村山ブランドを紹介する食べ歩きマップにあっ
たコースのひとつ「野火止(のびどめ)用水こもれびさんぽみち」を散策することにする。

 西武新宿線で所沢駅からひと駅、東村山駅を10時ちょうどにスタートした。東口のロ
ータリーには、市政施行50年のパネルが立つ。
    
 東京オリンピック開催の昭和39年(1964)4月、東京都では13番目の市となっ
たという。


 駅東口からまっすぐ東に延びる広い市道を進む。歩道には桜並木が続き、春には花見が
楽しめそう。


 500m余り進んだサツマイモ畑の隅に、秋の七草のひとつオミナエシが咲く。
    

 さらに進んで、直線の道路が左にカーブする近くには、地図に載っていた東村山ブラン
ドのひとつの和菓子処があり、酒まんじゅうなどが人気のようだが寄らずに過ぎる。
    

 すぐ先の市のスポーツセンター前を南に入る。広い樹木畑が広がり、キクの鉢植えなど
が並んでいた。


 市立五中の南側を東に回り、少し下がると空堀川(からぼりがわ)のなかよし橋。橋か
ら見下ろす川は、その名の通り流れが涸れていた。


 右岸沿いの遊歩道に入って下流を北東に向かう。枯れた流れのあちこちに、キクイモだ
ろうか黄色い花がたくさん咲いている。
    

 遊歩道に沿って公園のような緑地も続いていた。



 2つ目の達麻坂橋付近で水が現れたが流れてはいない↑。それもわずか、次の下堀橋近
くで再び流れは消えてしまった↓。



 地図では下堀橋で川を離れて、南東に延びるこの商店街を進むことになっているが、地
形図を見るとその先に緑地が続いていそうなので、次の野行前橋まで行く。

 野行前橋から南東への車道に入ると、すぐ右手は民家の屋敷林のような、うっそうとし
た広葉樹林になっていた。
    


 その先にも左手に2、3か所、市民も散策できるクヌギなどの緑地が残っていて、良い
緑陰となっている。その最初の緑地の道路際に、白いヒガンバナが咲いていた。
    

 都道226号を横断してさらに500mほど進み、野火止用水の石橋を渡り、用水の右
岸沿いを南西に向かう。
        
 野火止用水は両側を豊富な木々に覆われ、この辺りでは流れは見にくい。

 少し先、南側に東村山運動公園の照明塔が見えたので回ってみた。野球グランド兼陸上
競技場やプール、テニスコートなどがある。


 プールの近くに「でごいち」で知られた蒸気機関車D51684号が保存されていたが、
すっかり塗装がはげ落ちていて見るも無惨で、旧国鉄マンはもとよりSLファンにとって
も痛々しい。


        
 東村山市も厳しい財政事情かもしれないが、何年かに1度くらいは塗装し直して欲しい
ものだ。

        
 ところどころで流れが姿を見せ、雁橋近くには地元農家の直売用無人スタンドがあった。
    

    

 橋の周辺で五差路になっている万年橋際に、「万年橋のケヤキ」と呼ぶケヤキの古木が
流れをまたいで立っていた。市の天然記念物で「東村山30景」のひとつでもある。
      

    

 ケヤキの根元には2基の馬頭観音を祭った小さいほこらがあり、右の馬頭観音は寛政六
年(1794)と刻まれていた。
    

 万年橋を渡って左岸沿いに回る。すぐ先の北側に梨園があったが、今年の梨もぎは終わ
り、直売のみ行っているようだが今日は休み。無人スタンドには販売するらしいで白いヒ
ガンバナが並んでいた。
        
 
 細い都道128号が横断する中橋の先、うっそうとした広葉樹の下には「恩多野火止水
車苑」の水車小屋があった。ここも「東村山30景」のひとつである。


 野火止用水は、江戸時代の承応4年(1655)に玉川上水の分水のひとつとして開削
されたもの。天明2年(1782)には、この地大岱村に野火止用水を利用した水車が設
けられ、小麦などの穀物を製粉して江戸などへ送り出したとのこと。この水車はそれら歴
史を現在に伝えるために、平成3年(1991)につくられたのだという。
 

 左手上部の掛樋からの水で回転する仕組みだが、水量が少なくて時々しか回らなかった。

 付近の流れ際に、ヒガンバナが咲き出していた。


 同じ左岸上流、近くの鎮守の森には稲荷神社が祭られている。寛延4年(1751)に
当時の大岱村の鎮守として、京都の伏見稲荷大社から神霊を勧請したものとか。

 毎年4月10日前後の日曜日に、例大祭が開催されという。

 境内に幾つかの摂社があるが、そのひとつに「社吹堂(しゃぶきどう)」と呼ぶ初めて
知る小さなほこらがあった。
        

    
 扉を開けると中には2つの石が祭られていて、その由来が傍らに記されていた。


 西側に隣接して、緑に囲まれた稲荷公園がある。


 斜めに横断する新青梅街道の手前辺りは、野火止用水の流が少し広がり、たくさんのコ
イが近在の人の与えるえさを求めて集まってきていた。
    

 そばの左岸斜面にはヒガンバナが咲き競っている。


 新青梅街道を横断すると流れは暗渠(あんきょ)になり、その上が緑道になって延びて
いた。
      

 西武新宿線の踏切を渡り、さらに400mほど緑道を進み、用水を離れて右折して北西
への閑静な道へ。珍しい円筒形のポストが現用で立っていた。
        


 次の十字路を右折して、「ウィング通り」と呼ぶ結構繁盛してそうな商店街を直進し、
ゴールの西武新宿線久米川駅前に12時45分に着いた。 


 スタートした東村山駅は1.5㎞ほどなので、もう少し歩いて一巡することにした。前
半に歩いた空堀川の上流の流れも、水はあったが流れは橋の近くで止まっていた。


 新青梅街道のガードをくぐり、北側の側道を進んで南北に走る府中街道を横断する。す
ぐ先で北北東に延びる住宅地の間の細道に入り、西武国分寺線を跨道橋で越えると、商工
中金の大規模な研修施設の正門付近に、道路を挟んで農産物の直売用建物がある。

 東村山駅は、向こうに見えるイトーヨーカドーのすぐ左手だが、このような駅の近くに
広い農地が残っているとは知らなかった。

 スタートした東村山駅には13時15分に戻った。駅に接した西側の高層ビル・サンパ
ネルの2階にあった東村山市の観光コーナーをのぞき、遅くなった昼食をすることにする。

 コース地図として利用した、東村山ブランドを紹介する「里に八国」に掲載されていた
店舗のひとつ、スタート直後に通過した「ラーメン本舗まるみ」に入り、おすすめという
「黒ソースつけめん」(820円)を注文した。
    

 とんこつスープをベースにして東村山の名物、黒ソースや東村山ワインを加えたつけ汁
のよう。ラーメン汁なので仕方ないのかもしれないが、私の口には塩味が濃くて残り汁は
飲む気にはならず、かなりを残した。

(天気 曇、距離 9㎞、地図 所沢(1/2.5万)及び「里に八国2014」の地図、
 歩行地 東村山市、歩数16,200)




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