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三代将軍/徳川家光のララバイ🎵その① 265年の天下泰平のキーハンター春日局

2017-09-30 09:17:49 | 


帯表紙はお正月元旦の江戸城の様子。
江戸の町は、お決まりの寝正月、、誰も働かないし動かないのが普通。
元旦に外に居るのは、徳川家の重鎮大名のみ。

元旦早々、タイヘン!!という浮世絵。

◇265年の天下泰平のキーハンター◇

265年間、戦争のない天下泰平と世界一の文化を育てた江戸時代。
戦争がなかったため、毎日同じことを繰り返す生活。
ゆるゆると続けられる平和は、自由な文化を熟成するにはもってこいの時間。


天下泰平の時間を守り続けたのは、、
エライ武将がいたから?

家康により縦社会は出来上がり、
全国の男たちは幕府に従い、与えられた領地を守りと上納金を作るので精一杯・・・

この縦社会の存続のキーハンターは、実はおんなたち。。
<事実は小説よりも奇なり>のオンパレード!
大切な人を守るパワーは<実に恐ろしきは女なり>に成り切れることかもしれない。

血を絶やさぬよう江戸城の女たちが、男の発想にはない仕掛けと策略。
そして、非道で強靭な精神力でやってのけた。

265年も続いた江戸時代の要は、三代将軍家光を取り巻く女たちの底力だった。

家光の不遇な幼少~青年期の壁をぶち破り、将軍にした女。
それが乳母のお福、後の春日局だった。

だが、
男は誰も役に立たなかった訳ではなく、有名な二人の武士が寄り添っていた。


◇徳川家光のララバイ🎵◇

徳川家光と云えば大久保彦左衛門。
古のドラマ「一心太助」で、その人となりが痛快!!

魚やの一心太助と大久保彦左衛門のやり取りは、
町民の若造が超偉いお武家様に臆することない物言い。
正に江戸っ子気質そのもの。

そんなご隠居風情の彦左衛門は、家康・秀忠・家光と徳川家三代に渡り仕えた重鎮。

乱世の世を戦い抜いた徳川家の名物家臣。
あの家康にも、ズバズバと耳に痛いことを進言したと云われる。

家康が臨終の間際に言った
「彦左衛門のわがまま無礼を許す 
今後 将軍に心得違いがある時は 彦左衛門に意見させよ。。」

そんな<天下のご意見番>が、家光に寄り添った一人だった。

家光は政治力に長けた将軍だった。
が、、
家光の人生の始まりは冷遇。
実の父母である二代将軍秀忠と妻の江に疎まれ、愛情を受けることなく成人に。

孤独だった幼少期、肉親のような愛情で接したのが彦左衛門。

幼少の家光に、戦乱の世の実態や戦の話しなどを子守歌のように聞かせた。

心が潤うことのない不遇な日々、家光の性と心にも表れることに。

お付きの若い小姓たちと恋に落ちたり、
出世を狙う小姓に手玉に取られたりと男性遍歴が続く。

そんな困った日々の中、もっと困ったことが、、
なぜか家光は極小の盆栽を溺愛してしまう。

ちいさな盆栽を溺愛するあまり、夜も枕の引き出しに盆栽を入れて寝るほどだった。
そのド変態ぶりに喝!!を入れたのが、彦左衛門。
なんと、その盆栽を叩き割って家光を諫めた。

実は、その家光の愛した盆栽が今も生きている。

皇居の大道庭園と呼ばれる盆栽仕立て場に、家光の愛した「三代将軍」がある。
「三代将軍」は名品中の逸品。
東京大空襲を潜り抜け、今なお立派な姿だが樹齢550年には驚く。



↓五葉松の「三代将軍」樹高81㎝



<大久保彦左衛門 たらいに乗って江戸城登城の浮世絵>

通常大名は籠に乗って登城を許されている。
そして
旗本以下は徒歩で登城しなければならない。

だが家臣の者たちも老い、広大な城内を移動するが大変になってきた。
年寄りや足の不自由な者たちの代弁者として、
彦左衛門はわざと<たらい>に乗ってきた。

それを咎める役人に
「たらいは籠にあらず」と言ってのけた。


それを町民たちが笑って観てる浮世絵。

面白いのは、
町民が大名登城を大名図鑑を見ながら
「アッこれって 島津の家紋だ!」とわぁわぁ言いながら見物してたんだって。
江戸時代のこの大らかさ、、なんだかイイでしょ🎵





今日はこれまで(^^♪
家光のララバイ🎵その②に続きますよ~~~

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