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前編/江戸のおなごたちには敵わねぇ~遊女 大奥まで

2017-02-15 16:34:31 | 


この世には男と女の二種類。
植物や動物や海の生き物も全てそう。。
子孫や種を残すための役割を果たすように出来ている。

が、ここ数年
人だけは、どうもおかしな事態になっている。
恋をしない、プロセスが面倒、、
結婚しない、、一人が気楽だ…

同じ日本で、今から150年前から400年ほど前、江戸は真逆。
年中、恋に明け暮れていた。
それは私の想像を遥かに超えたおなごたちが作った時代だった。


◇色恋のレッスン 遊女◇

江戸幕府が出来た頃は、片田舎だった江戸。
世界一の水道や地方大名の江戸屋敷の整備。
町づくりのため職人や武士といった男だらけ。
女は希少価値になっていた。

それは商人が商いを大きくすれば、もっと希少になった。
身目麗しい<おなご>は、
力とお金のある商人が何人も囲ったりしていた。
男女比のバランスは、最悪だったという。

だからか
貧乏長屋に嫁に来ると大騒ぎになった。
それだけ江戸には生粋の地娘が圧倒的に少なかった。

そためか、江戸は遊女の需要が高った。
地方の貧しい農家から売られてきた娘たちの中で、身目麗しい娘たちは吉原へ。
その数は3000人。
新宿や品川などの宿場町にも格下の遊女たちが、大勢連れてこられた。

おなご不足の解消と恋のいろはを愉しむのが遊女の役割だった。

吉原の最上級の花魁などは、お茶・お花・手紙・俳句など。
これらの習い事を習得し、そのうえ恋の手練手管に長けていた。

さらさらと文字を綴り、訛りを隠すための独特の遊女言葉は色っぽさを掻き立てる。
遊女は、最大限の女を武器に男を騙し続けてなんぼ?のお仕事。
そして江戸の最先端のファッションリーダーでもあった。

下唇を玉虫色に塗る花魁。
これは江戸の地女や大奥まで流行ったという。


楽屋裏。。珍しい浮世絵
だが
過酷な仕事ゆえに、28歳までに病死する遊女が多かった…
生きて遊郭の大門を出ても、故郷では受け入れてもらえず、
江戸に留まる者が大半だった。



◇奥勤め。。大奥◇

大奥は将軍専用の女たちの集まり。
拝謁できる女と一生拝謁できない女で成り立っている。

一般庶民の出自でも、
行儀見習いで大奥勤めを二~三年勤め上げれば、嫁の貰い手は引く手あまた。
大奥で薪割りや大奥内での移動の駕籠かきだったとしても、
外へ出れば女エリートとして扱われる。

だが大奥や武家屋敷のお女中は、
江戸っ子の男たちからは薄気味悪がられていた。
髪は油でコチコチに固められ、顔は白壁のように厚く塗られ、
豪華な刺繍が施された布団のような着物を着ていた。

杉浦日向子さんの本に
奥女中を「左官に頼む面」と江戸っ子には茶化されたと書いてあり、
思わず吹き出してしまった。
江戸東京博物館で見た着物や華美な装飾品が、
町民とは全く違う美意識と生活を物語っていた。

エリート集団の女たちも
粋や色香を愛でた江戸っ子たちには、異物に見えたんだろうねぇ..


大奥の浮世絵も珍しい!


後編に続くよ~


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (小豆ママ)
2017-02-15 17:46:51
我が家にも結婚願望のないおなごがおります
江戸時代のおなごたちを見習ってもらいたいものです
遊郭 (corona404)
2017-02-15 21:02:29
私が色気づく10代終わりころまで遊郭はありました。
「坊、自転車を置いてきたので貰ってきてくれ」と、勤務先の悪い先輩もいました。

そのうち廃止法が施工され、ついに登楼は果たせず。
貧しい時代のことです。

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