Salsa する?

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ココロの核にしみ込んで、カラダの芯が躍動します。

未来に発信する男たち トップバッターは星野源 

2018-02-18 19:56:17 | 


日々、人は同じルーティンを繰り返す。
仕事、家庭、学校、好きな事も嫌いなことも。

淡々とやってるようで、内心は凄く焦ってたり。
考えても答えが出ないと諦め、日々に流されることをあっさり自分に許す。。

『なんのために 頑張らなきゃいけないのか…』と考えようものなら、
縫い目も切れ目もない哀しみが襲ってくる。

どこかでコレを切るには、気が付かないふりがラクチン。
自分を騙す、、とか、
いつかその時に考えよう!と名案が出たフリをし続ける。


でもね
そういうので逃げ切れる人は、一握りの運がイイひと。

いつかはぶち当たる壁に立ち向かえるのは、実は丁寧に積み重ねた日々の中にある。

そして
その正体を書いてる本がある。

作家と呼ばれる人たちではなく、
未来に発信することを黙々と続けてる人たちが書いた本だ。


◇多動力を続けた星野源。。生と死の間に◇

今、漠然と不安で、生活が楽しくない、、と思ってる人は山ほどいる。
いくら楽しもうと思っても、全く湧き上がる歓びが感じれない・・・
子供の頃は、ウキウキふわふわした気持ちに満たされていたはずなのに。
そのギャップは大きくなるばかりで、これほど辛いことはない。

それはナニカに自分がガッチリ捕まってるから。。
なのに
ナニカに捕まってることに麻痺し、そんなツライ時間が普通だと思う。
もっと違う生き方がある筈なのに、、、、

そんな状況を誠実に書き上げたエッセイがある。
星野源氏が死を抱え込んだ病と共存しなければならなくなった時、
彼の生活と仕事への考え方がガラリと変わった。

ミュージシャン・俳優・文筆家・ラジオDJと鬼のように働いた男は、倒れた。

疲労だけではなく、先天的な要因も大きく、
生命のエネルギーと消費するエネルギーのバランスが壊れた。
その結果、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を招く。

倒れる前までは、仕事が中心であり過労死しようが関係ない。
自分の生活なんて考えたこともなく、
うっとおしい面倒臭さが溜まっているのが生活…だった。

それが
病室での生活は、ひたすら痛みに耐え、苦しい事ばかりなのに、、
なぜか起こる出来事への喜怒哀楽は、今までよりも濃密になった。

この予想外過ぎる言葉は、読んでいるワタシに色んな事を思い出させた。

怪我で何カ月も動けなかった自分が、ひどく孤独で、、
当たり前に出来きてたことや
朝陽のまぶしさや
夜の静かすぎる寂しさ・・・
公園で遊ぶ屈託のない若い声に
コツコツと響くヒールの健康な音
毎朝飲んでいた淹れたての珈琲の安らぎも

ベットの中でひしひしと感じたのは、生活の愉しみと有難みだった。

その時に感じた喜怒哀楽は単純なものなのに、
ふり幅の大きさは強烈で一生忘れないだろう。。と思う。

星野源「蘇る変態」から

『生きた証や実感というものは

 その人の外的行動の多さに比例するのではなく

 胸の中にある心の振り子の振り幅の大きさに比例するものだと思う』

そしてもう一つ
『大事な仕事を沢山し充実した日々なのに
プレッシャーと恐怖が一緒になり巨大な寂しさに包まれ。。絶望する。

でもやるしかない、

やるなら今しかない、そう思いながら毎日仕事に出かける

死ぬまでこの寂しさはなくならないだろう
寂しさは、
きっとその人の性格であり、生まれ持ったチャームポイントだ』


星野源氏の言葉は文学的ではないが、物凄く誠実で的確だと思う。

私は「そして生活はつづく」から「働く男」

「いのちの車窓から」そして「蘇る変態」「星野源雑談集」と読み耽った。

きっと誰もが持ってる絶望や、そして癒えない寂しさは決して悪いことではない。
それが転機になったり、原動力にもなるから。。と

その中の一節に
不安は表現する者として、自分の親であり、日々の栄養でもある。
そして不安はご飯だ。。。。と綴られた言葉があった。

この不思議な表現に、ワタシは味わったことのない安堵を感じた。


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