ベルリンのマーク
ここにもありました↑このステッカーが買えて本当に良かった^^
涙の宮殿
東西ドイツ分断時代、国境駅だったフリードリヒ通り駅。出国検問所の役割を果たしていたそうです。
1961年8月13日午前0時から東ドイツは東西ベルリン間の道をすべて封鎖。一夜にして有刺鉄線と土嚢が境界線に積まれ、東西間の通行が不可能になる。そしてブロックによる壁の建設を開始。
東ドイツ市民は西への旅行の自由はない。よって、西ベルリン市民がこの駅を通って、東側に住む家族や親戚、友人と再会を果たす。そして彼らが電車で西側に戻る時、ここで別れることになり涙を流す。これが涙の宮殿という名前の由来だそうです。自由に自分の意思で好きな時に行き来できることが、幸せなことなんだと感じたことのない気持ちになりました。
この当時ここで涙を流した人の気持ち、当事者ではないので本当の気持ちはわからないけど、察することはできます。
この扉をあけると
出国審査カウンターがありました。
簡単にスタンプを押して、はいどうぞ~なんて感じは全くしない。怖さを感じました。
書類の右すみにあるスタンプ
当時からこのマークだったんだと知ってから、このマークを見る時の気持ちも変わりました。
ここに来ることができて良かった。
バスに戻る途中のアンペルマン
父からアンペルマンと一緒のところを撮ってと言われる。ストップは、信号待ちの時に撮ればいいので簡単だけど、ゴーがとてつもなく難しい。遠いとアンペルマンが小さすぎて何かよくわからないし、近いとアンペルマンは上の方にあるので入りきらない。父に先に歩いてもらって途中でとまって振り返ってもらう。自分がさがったり前に行ったり・・・当たり前ですが、少したつと赤になるので気持ちが焦るからうまくいかないしかも団体行動だから流れの中でやらなくてはならない。
行きの1回目のチャンスでうまくいかず、それを父に言ったら「なんでだ~もう~」なんて言われてちょっと腹が立つ。今までなら、「できないものはしかたないじゃないか、ふん」なんて思ったけど、この時は「次こそちゃんとおさめてぎゃふんと言わせるぞ」と怒りをエネルギーに変えました。その結果、成功
いいねえ~なんて言ってくれましたしかしいつの間にアンペルマンが好きになったんだろうか。
つづく