何かが変わる時

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何かが変わる時、それは突然のように思えて、実はその予兆があったりする。
半世紀以上も生きていると、さすがに少しくらいは学習して、その予兆を察することができるようになる。予兆は静かにゆっくり少しだけ顔を現せてはまた消える。そのちょっと顔を出した時に何かを感じるかどうかが大切になる。
これくらいは相当年数人間をやっていると何となくわかるものだ。

しかし、顔を出したからといって、具体的にそれがどんな変化をもたらすかまではわからない。わかるのは、不吉な予感がするかそうではないだけだ。そして、今、私は「何かが変わる」予感がしている。と言っても、ここ1週間で変わるとかそのようなものではない。ゆっくりゆっくりと静かに、まるでほとんど人に気付かれないまま地殻変動するみたいに、自分の中で何かが変わってしまうような気がしている。
そして、自分が変わる前と変わった後をしばらくは行ったり来たりしなければならないのを知っている。そんなに何もかもが一度に変わってしまうことはあまりないのだ。もしそうではないとすれば、予兆(あるいは予告編とよんでもいい)を見逃したか、見ても無視したかのどちらかである。

そして、その変化の後に待ち構えているものなど何もわからない。自分にとって吉と出るのか凶と出るのかもわからない。いや、もっと正確に言えば、吉と出た後にその反動として出現してくる凶なのか、あるいはその逆なのか。それは実際に始まってみてから出なければわからないのだ。
ただ、今回の予兆はとても「穏やかに」ゆっくり時間をかけてということにはなりそうもないかもしれないる私にその場その場での一瞬の判断を要求されるような気がする。

さて、どんな変化なのだろうか。それによって私の今後も大きく変わって来るのかもしれない。





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by jhm-in-hakodate | 2016-09-26 00:30 | その他雑感 | Trackback | Comments(0)