待つ努力 | まっちゃんの一日一話

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まっちゃんが日々思うことを綴っています。
思いは人それぞれ
読者の方が自分なりに読み砕いて
自分なりの読み解き方をしていただければと思います

こんにちは、まっちゃんです。

皆さんは、自分や、自分の周りの人の成長を感じることはありますか?
自分の成長もそうですが、自分の周りの人の成長ほど、解りやすいものは無いと思うのです。
成長とは、力が大きくなったり、効率が良くなったり、もしくは、記録が伸びたり・・・。

色々な意味で、成長をする人はたくさんいます。
そして、自分の成長は、周りの人に計ってもらう必要がある、自分では気づきにくいものではないかと思います。

そして、その成長は、どうやって伸びていくかというと、努力なり、継続なりが重なって段々と積み重なり、高く、広くなり、成長していくものだと思います。
それには、時間と労力が掛かるもの、それを時間でしっかりと受け止める、つまり、待つことが重要ではないかと思います。

今日は、「待つ努力」ということについて、私なりに考えて書いてみたいと思います。

人は、自分の能力を知り、そして、自分の能力よりも劣っている人を見ると、苛立ちを感じることがあると思います。その人が、部下で、そして、どんなに指導しても、早くならなかったり、効率が悪かったりすることは、人としてあり得ること、当然ながら、基本能力も人によって大きく異なると思うのです。

それは、人として、存在感を高めるものとして、大事なことですが、能力の大きさは、どうやっても、変わり得るものではないと思います。
その時に、能力の高い人が、行動すること、考えることは、どれだけ、その人が達成する、完成するまで、「待てるか」ということになってくると思います。

ついつい、早さを考えたり、チーム内、部内の全体のことを考えて、足手まといになっている人を見ると、苛立ちを感じる人が多いと思うのですが、それは、自分の中での努力が足りない部分ということも考えてみるべきではないかと思います。

人生において、「待つ努力」を養うのも、自分にとっては大きなこと、大きな努力の一つではないかと思います。
そして、その努力を司るものこそ、自分の中での大きな心の広さを育成してくれるものではないかと思うのです。

そして、待ってもらっている人も、待ってもらっているという事を認識し、自分の中で最大限の努力をしたり、もしかすると、新しいものを確立させるかもしれないと思います。
それは、時間が解決するという、素晴らしい努力でもあると思うのです。

そして、そこから生まれる最大限の能力なり、成長なりは何かということを考えてみると、「待つ努力」というものが大事だということは見て取れると思います。

その部分から生まれる、人としての大きな成長の証、そして、その大事な部分は、「自主性」つまり、自分で作り出す、自分で考え出すという大きな成長の証ではないかともいます。
それは、「待つ努力」というものから生まれてくると思います。

そして、「自主性」は、どんな時でも本当に大事です。
言われたことだけをしていると、人は、本当に楽です。でも、全く考えない人間を作り出しているのと同じことになるのではないかと思います。

指示を出すことも大事ですが、指示を出す前に、自主性を重んじる、そして、その自主性をしっかりと作り出すことが大事ではないかと思います。
もし、自分が何かのグループの長になったり、部内の長になったりすると、ついつい、その役職や担当から、どんどん指示を出しがちになる人も多いと思います。

そうではなく、大きい所の指示は当然ながら出すのは必須ですが、小さい部分、もしくは、余裕のある部分については、「自主性」というのを重んじることが重要ではないかと思います。

子供に、勉強をしなさいということは簡単。そして、それを言われると、子供は反発し、適当にしか勉強をしなくなります。
でも、自主性をその子供に教えることによって、大きい部分では、注意し、そして、子供が自主的に勉強をする、いわば、「自主性が育つ教育」というものを重んじると、子供は、自然と勉強するようになるのではないかと思います。

それには、親が、「待つ努力」というものをしっかりと身につけなければいけないと思うのです。
考えてみると、待つ努力も、実は、自分に対する自主性とも言えるのではないかと思います。
人生は、長い、そしてその長さ故に、自分の中で、ついつい、「待つ努力」というものを怠っている人も多いと思います。

待つ努力

自分の中で、しっかりと作り上げ、どんな時でも使い分けができるようにしたいものです。

では、この辺で。


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