選択責任、アカウンタビリティーって
聞いたことありますか?
いまの現状はすべて
自分自身が選んでいるということを
あらわしています。
わたしね、この、選択責任
自分の人生は
自分のいまは
すべて
自分が選んでいる!
と知ってから
うつと共にいることが
なくなったんです
つまりですね
「うつ」さえも自分で選択したんだって
気付いたら
手放すことができたんです
気付いたら手放せるって内容を
天才コピーライターの
ひすいこたろうさんが
何かのトークで話されていたとき
「目ヤニってさ
本人気づかないでしょ?見えないから
でも、鏡みて、
あ、ついてるって気づいたら
いとも簡単にとれるんだよ
気づくと
手放せるよね」
って話でさ(笑)
なんだ、そのたとえって内心笑っちゃったんだけど
ほんと、そのとおりで
私も
自分で選んでいると気づいたら
手放せたんですよ
あ、違う人生を選択することも
できるんだなってわかったんですね
今、つらいさなかにいるあなたは
うつなんて
選択するわけないじゃんって
思うと思います
死ぬほどつらいですもんね
いっそ死んだほうが楽なんじゃないかっていう
辛さでした、ほんと
でも、そこにいきつくまでの選択は
自分でしてきたんです
自分の声を無視して頑張り続けたり
被害者になってみたり
加害者になってみたり
自分のこと責めたりね
そりゃあもう、
いろいろね
だったら
このさきは、選びなおすことが
できますよね?
うつのころ
わたしは、ずーーーーっと
壁を見て生きていました
実際、家の壁もですけど
精神的にも
多くの立ちふさがる壁をみていきてました
できない理由だったり
今つらい現状だったりね
全力だしたらまた・・・っていう怖さだったりね
とにかく壁だけを見てました
でも、人生を選びなおせるんだったら
壁をこえて
何を選ぶ?
ほんとうは私、どう生きたいんだったっけ?
心から嬉しいことはなに?
ほんとうはどうしたい?
そうやって
意識を先に向けたら
思ったより簡単に壁をこえられました
「思ったより簡単」っていうのは
まぁ、それなりに、
壁を超える痛みがあったり
怖さを超えてその先に進んだりという
冒険はしましたけど
私がこわがっていたよりずっとずーっと
世界は優しくて
スルっと別のレールに
乗ったように
人生も心もV字回復していきました
で、これを読んでるあなたは
本当は
どう生きたい?
立ち上がるのさえつらい状況でも
意識を向ける先や
思い描くことは
自由ですよ
にほんブログ村