桜の木が新緑に包まれている

 

その姿をみたとき

 

「集合意識」

 

という言葉が降りてきた

 

 

 

桜は春に咲くもの

 

そう人は認識している

 

もし

 

桜は冬に咲くもの

 

人々がそう認識したら

 

もしかして桜は冬に咲くのだろうか

 

そんなことを想った

 

 

 

この世はすべて自分が創りだしている

 

本当は自分だけしかいない

 

バーチャルな世界だという

 

 

 

だとしたら

 

自分がなりたい存在になって

 

自分がやりたいことが可能に

 

時間やお金もすべて自由になるのだろうか

 

 

 

時折、何かに支配されているように感じる

 

ただ漠然とそう感じる時がある

 

でも、その支配があるからこそ

 

あまり怖さを感じないようにも想える

 

 

 

みんなが同じ意識の中で

 

たった一人、違うことをすると恐れを抱く

 

みんなと同じでなければいけない…。

 

人は自由を求める一方で支配されている方が

 

不自由だが楽に想えることがある

 

 

 

こうでなければいけないことなんて

 

本当はないのかも知れない

 

 

 

桜にしてもそうだ

 

本当は、いつ咲いてもいいのかも知れない

 

春に咲かなきゃいけないわけではない

 

逆を言えば、桜は春に咲きたいから咲いている

 

それだけなのかも知れない

 

 

 

人は物の見かた、思考の癖、俯瞰の仕方によって

 

様々な解釈をして問題をつくり出してしまう名人だ

 

 

 

桜の木を見つめながら

 

私たちの集合意識が春に咲かせているのか?

 

それとも

 

桜の木が春に咲きたくて咲いているのか?

 

そんなことをふと考えてしまう自分が可笑しくなった

 

 

 

どちらにしても、すべて自分ありきなのだ

 

この世は自分で選んで生まれ

 

あの世を自分で選んで還る
 

好きなように自分の想いのまま創造する人もいれば

 

誰かのせいにして不平不満を並べて生きる人もいる

 

どちらを選ぶのかは自分次第!

 

 

 

私たちは、いつも好きなことを選択できる

 

集合意識もいつでも書き換えられる

 

自由とは楽しさと怖さを引き受けること

 

楽しさと怖さを分かち合うから自由になる

 

 

 

もしも今ここが自分だけの

 

バーチャルな世界だったとしても

 

 

 

あなたの人生は、あなたが決める

 

私の人生は、私が決める

 

それが今を自由に生きる証

 

 

 

どんなことも自由に自分で選べる!