3月15日(水)Day 9

バタバタする頃になる前に、用事を済ませに
車で少しの距離の、ショッピングセンターに行きました。

施設内の郵便局、民営化されてポスト・ショップというそうですが、
そこで、次女のパスポート更新用の写真を撮りました。
写メだとあれやこれやが合わなくて、
ネットでの簡単な申請ができなかったそうです。
そこは私は、ーちんぷんかんぷんです。

こちらではずっと安いという資生堂やその他の、
日本で売っている化粧品を、次女が買って感涙にむせんでいます。
私は日本での値段を知らないので、ほほーう、と言うばかりです。

フードコートには、トルコのケバブ、
日本の寿司とお弁当の店、中華、インドカレー、
ローストミールなどいろいろあり、ここで昼ごはんを食べました。
前回にアップしたのですが、
夫のローストミールランチ、次女の寿司入り弁当は大成功、
私の、中華の盛り合わせは味が濃くて脂っこくて、
3分の1ぐらいしか食べられませんでした。
ともあれ、今回最初で最後かもしれない、フードコートです。
いろいろな国の食べ物が見られるので、大好きです。

一度家に帰り、大阪在住の生徒さんのレッスンをしました。

その後 夕方から、風が寒く感じられる外気の中を、義母も交えて外食に行きました。

この晩は、パーネルという小さな観光の街にある、
ウッドペッカーヒルというタイ料理屋さんが目的でした。
でも、週の中日だからか、できて間がない人気店だからか、
最後の1テーブルがちょうどふさがったタイミングで到着しまして、
残念ながら、今回はあきらめました。

パーネルは坂がきついところで、駐車場も急斜面です。
杖を忘れた義母がちょっとあぶなっかしいので、
一度ベンチに座って、夫と二人でグルメサイトを検索しました。


「間違いなくオークランドで一番」

と、日本人の方が太鼓判を押しているお店をすぐ見つけました。
エレファントハウスというクラフトショップが、
その大きな店の一隅をレストランに改造したみたいでしたが、
その名もブルー・エレファントという店が、おいしいそうです。

店内の奥まったテーブルにすぐ案内されました。
店内を歩きながら、近辺のテーブルをガン見すると、一皿がすごく大きい。
こちらの人はたくさん食べられるので
その一皿がお一人の前にでーんとあり、
それ以外にに2、3皿あるというのを観察し、
これは全ての料理を分けっこだな、と心に決めました。
ふだんはぐずぐずしても、こういうことだけ速い私です。

お店の人は全員スリムなタイ美人でして、
民族衣装のスリムなトップスにタイトスカートが素敵です。
こういうところで私は働いてみたい!
しかし、リバウンドした分をけずっておかないと、
きっと面接で落とされることでしょう。
顔的には純アジアで、ぴったりと思うんですけどね。

ホタテ4つという前菜を一つ頼んでみました
深いチリレンゲに、卵で作ったふわふわのおざぶとん、
その上に、貝柱だけのほたてのお刺身、スイートチリソース。

うっ、まぁーい!

と一騒ぎしてしまいました。

この日頼んだのはそのホタテと、シーフードのトムヤムクン。
羊肉のなんとかカレー。
シーフードのサラダ。
甘酸っぱい味付けの、酢豚に似た炒め物。

羊肉のカレーを頼んだら、

スティッキーライスと、ジャスミンライスと どちらがよいですか

と問われたので、両方にしました。

スティッキーライスは もち米で、
小さな深い蓋のついた、小さなカゴに入って来ました。

蓋を開けていたら、

「すぐに硬くなってしまうので、
蓋は食べるときにお開けになったほうが・・」

と、小さな声でガイダンスをいただきました。
こちらのサービス、すべて押し付けがましくなく、
繊細な気遣いがあって、一同感動してしまいました。

すべてを1皿ずつにして、全員で分けっこをしました。

昼間、フードコートで、味の濃い脂っこい中華と格闘しなければ、
私は倍量食べられると思いました。
あと、甘酸っぱい味が多い、ソースもドレッシングもたっぷり、
という特徴のあるものを知らずに重なって頼みました。
次からは(もう来年来ると決めている)、
生の味を生かした前菜、海老のトムヤムクン、
シーフード何か炒め物、仕上げにお肉のカレー、
とするといいと思うんですけど、ご一同いかがでしょうか。
え、そんな来年のことなんて、鬱陶しいこと言わないでくれ?
失礼しました。
書いてて自分でもそう思いました。

夫が、

お母さんがいつまでも元気なのは、
なんでもたくさん食べるからじゃないの?

と言いましたら、義母も、それあるかもねーと答えています。

日本に前に何回か遊びに来た時も、
うなぎ・天ぷら・鍋物・寿司・ブリカマの塩焼きから何から、
食べないものがほとんどありませんでした。
そういうところ、親子で似ています。

ただし、あまりにも食べ慣れないものと、
歯ごたえが慣れないものはだめでした。

たけのこ・ごぼう・青柳のぬた・こんにゃく・のようなものです。

義父のお 葬式で来た6年前は、
義母は骨折して車椅子で、
同じパーネルの別のお店ですが、
夫とウェイターさん三人がかりで、数段の階段を運びあげました。

その後も、白内障で左目が悪く、遠近感があやしいため、
同じ色のカーペットの段差がわからなくて転んでしまい、
また足を折って入院、なんてこともありました。

久しぶりに会うときは、ぴんしゃんしているので忘れていますが、
転んで鎖骨を折った後遺症で、右手が高く上がらない、
左手はシャワーで転んで・・・

というわけで、長生きなだけに、満身創痍です。
それでも、一人暮らしを頑として続けている義母。

家を売って引退村に入ったのも、
「広い家のどこかでお陀仏になっていて」(というような表現をした)、
数日後にみなさんをびっくりさせるのも申し訳ないから、
という理由だけなのでした。

そうでなかったら、結婚以来50年以上住み、
持ち家を0から建て、同じ教会、同じ近所の人と過ごしたところ、
やっぱり引っ越したくはなかったと思います。


今回の帰省で一番自分の心境的に変わったなと思うのは、
去年ぐらいからなんですけど、
帰省はひとえに義母のためと思えることです。

結婚式で初めてこっちに来て以来、
子供が生まれて以降もずっと、
義母義父は、「これはあんたたちのホリデーだよ」
と言い続けて来ました。

誘っても滅多に一緒に外出もしないし、
ほとんどの場合、赤ん坊だったり幼児だったりした娘らを、
大丈夫大丈夫、と言って預かってくれまして、
そのために私たちは映画だ芝居だ、飲みだと、
しょっちゅう深夜の帰宅をさせてもらいました。

そのお返しとしては遅すぎるきらいもあるのですが、
できるだけ一緒に出かけ、
義母の友達や親戚のじいちゃんばあちゃんにも会う、
できるだけ家で、義母とぼんやり過ごす、
っていうふうになって来ています。

おいしいものをみんなで食べて満足して帰宅。
気をつけて、アルコールを飲まずにいたのは、
10pmからもう一つレッスンがあったからです。
いつもスクリーン越しの生徒ですので、
こっちの部屋の背景が変わるぐらいで、なんということもありません。
レッスンで会う人が、
「もういいから、残りの休日を楽しんで」
と言ってくれます。
ありがたいことです。

そうしよっかな?


ホタテの冷菜


ブルーエレファント外観