海外の友人が、私がFacebookでシェアした、
大阪府立登美丘高校ダンス部による、
バブル時代の仮装(もはや仮装)をした若い女性のダンスを見て、
「まあ、この人たちは、同じ美容院に行っているの?」
と質問して来ました。
現代の日本の女性の様子だと思ったらしいです。
ラーメンズの「日本の伝統」シリーズを、
事実だと誤解する外国の方も多いですから、
この動画を見て、そう思っても無理はないかもしれませんが、
なぜか、慌てて打ち消しておきました。
私から見ても、この動画はすごくよくできていますが、
難を言えば、全体的に髪の長さが足りない気がします。
また、当時のダンスは、ここまできれっきれではありませんでした。
そして、羽根扇子を振り回してお立ち台で踊るのは、
もう少し水っぽいというか、
パン○が見えてしまうのは覚悟の上、
という勢いのあるお姐さんたちでした。
このダンス動画に見るようなスーツ姿は、
都心のOLのユニフォームであり、
ジュリアナに行かないことはないが、
出勤にはこのタイプの服装で行き、ジュリアナに行くのなら、
ジュリアナのトイレで着替えていらっしゃったと思います。
また、女性たちのプロポーションも、これほどよくありませんでした。
「バブルでGO!」の映画でも、
とてもよく調べて復元していますが、
実体験がある人々にとっては、
あそこがちょっと・・な部分があるのは仕方ないですね。
前にも何回か書いたことがあるのですが、
当時の女性を取り巻く服飾環境ですが、
とにかく、なにかとタイトだった、ということがあります。
ボディコン、ボディコンシャスですが、
流行り始めた時は、体の線が出ますのでとまどいましたが、
すーぐに慣れ、着るようになりました。
着るようにはなりましたが、
贅肉は急にはなくなりませんので、
抑えなければなりませんでした。
そこで、お腹の前の「抑え部分」がひし形な、
きつーいガードルや、ボティスーツ、
お金のある人は、鎧のような補正下着も愛用しました。
家に帰ると、あー、あつあつあつ!
という感じで、パッパッと脱ぎ捨てて、
高校の時のえんじ色のジャージに着替えて、
フーッと息をつく、それぐらいなきつさでした。
どピンクや黄色、明るいブルー、白など、
鮮やかな色もとても多かった記憶がありますし、
ウエストで絞ったスーツの裾が、無駄にフリルっぽいとか、
アクセサリーも大きなパールや、
ゴールドでジャラジャラ、というのも普通でした。
デコラティブな感じがしました。
ピンヒールで、足の先端がとんがっているものも多く、
外反母趾、という言葉を聞き染めた頃でした。
パンストも1000円前後のもので、引き締め効果のあるものを、
勝負どき?には愛用しました。
ちゃんと足の先まで手を差し入れ、
油断なくきちっと伸ばしながら履かないと、
途中で長さが足りなくなり、それ以上あがらない。
最初からやりなおしです。
そして、夕方にはちょっと、腿やふくらはぎが痛くなることもありました。
ファッションは、5年前のものは噴飯もの、
10年前は「信じられない」
15年前のものは「おっ、新しいね?」
となる、要するに繰り返す、とか言いますが、
あの全体を覆う「容赦のないきつさ」を思うと、
あのまんまでバブルファッションが繰り返されることは、
ちょっとないと思います。
私もおみやげで、エルメスのスカーフを持っていました。
OLと一線を画すお立ち台ファッション