手手噛む鰯


 むかしのこっちゃ。富田林に兵やんという魚売りがおったんや。

 

ある夏のことや。

兵やんはいつものように暗いうちに起き、堺の浜で仕入れた鰯をてんびん棒でいのうて、えっさほいさ西山を超えると、

「てて噛む鰯はいらんかー。とれとれのてて噛む鰯やでェ」

 と、威勢のええ声を張り上げ、走りもって売り歩くんや。


けど、走りながら商売しても夏のひざしはむごいがな。ひずかしごろになったら鰯は白目むきよる。ほんでから腹が割れて、ギンバエが寄ってくるんや。そうなると兵やん、石川の川原で鰯を焼いて弁当食べるんやて。


「ええ匂いやなあ」

木の影で昼寝をしとった大男が、背中に亀の甲らみたいな大きな鉄鍋を背ったろうて、のっそり現れよった。するとまた一人、橋の下から袋をかついだ男が出て来て、たき火のそばにどっかと座ったんや。


「わしは見てのとおり鉄鍋売りや。この黒光りする鉄のかたまりはどうや。ほれぼれするやろ」


「わしは豆の商売してんのや。ここらで安う買うた豆、大阪へ行って高う売るんや。ぼろい商売やでェ」


気のええ兵やんはいやな顔もせん。

「ふっふっ、アチチチ、こりゃうまい」

三人で焼けた鰯を食べはじめたんや。


「うちのかみさんいうたら、背の青い魚はきらいや言うて、鯛や平目ばっかり買いよる。なんぼ鉄鍋売りの景気がようても、ぜいたくで困ってまんねん」


「わしとこのかみさんはしぶちんでなァ、梅干しか出しよらん。わしの売った豆のもうけ、えんぶ取りあげてしまうんですわ。けど、銭ためてますでェ。床の下に銭入れた壷、どっさり並んでまんのや」


二人の話に兵やんびっくりしたがな。


「あんさんらの商売そんなにもうかりまんのか。わしゃ朝早うから、足パンパンに腫れるほど走って走って、走りつづけて売っても、なんぼにもなりまへんのや。あんさんらの商売のしかた教えとくなはれ」


鉄鍋売りは一匹残らずたいらげて、歯の間にはさかった小骨をチッチッと言わせながら、

「ごっつォになったお礼や。ないしょにあんたにだけ教えたる。そもそも商売の品物は、丈夫で長持ちするものやないとあかん。すぐこわれたち、穴があいたりするもん売ってみい、信用されへんがな。この鉄鍋は二百年、いや三百年でもびくともせえへん。これが信用というもんや。わしゃ、のろのろ歩いたり、昼寝をしてても、一銭二銭の商いやないさかい一つ売れたらもうけは大きい。こんなええ商売ないで」と、言うた。


すると豆売りも、

「この豆というもんはな、おてんとうさんの光をじゅうぶん吸うて干しあがっとるさかい、ちっとやそっとじゃくさらへん。今日は商売休んだろ思てほっといても、品物が古うなるちゅうことはない。ま、のん気な商売や。そこらへんで安う買うて、大阪へ持って行ったら、辻に立ってるだけで人が寄ってくるがな。こんなにもうかる商売ないで」

と言うのや。


兵やんつくづく鰯売りがアホくそうなってきた。

「その鉄鍋なんぼするんや。高いやろうなァ」


鉄鍋売りはにっこりした。

「そりゃ高いがな。高いことは高いが、おまはんが買う言うのなら、元値の二円五十銭といいたいが、男は度胸、二円にまけたる。どうや、今、銭なんぼ持ってんのや」


「へえ、今日の売り上げが二円ほど・・・」


「ほんならちょうどええやんか。この鉄鍋は売値が三円やさかいに、これ一つ売ったらすぐ一円も、もうかるんやでェ」


「そうか、一つ売るだけで一円もうかるんか。よっしゃ、明日から商売がえや」

すると、豆売りがしゃしゃり出てきよった。

「あんさん、こんな鉄鍋売りの口車に乗ったらあきまへんで。こんな二百年も三百年も長持ちする鍋やいうても、三円も出して誰が買いまっか。今までつこてる土鍋のほうらくは、すぐ割れるいうても安いがな。ここらの人に、こんな高い鉄の鍋どうやって売りまんのや。それにくらべたら、豆は誰でも食うさかいすぐのうなるやろ。のうなったらまた買うてくれま。この袋に入ってる豆、売値が三円やけど、あんさん気のええお人やから、一円五十銭で売ったる。大阪行ってみィ、すぐ売れて一円五十銭のもうけや」


商売じゃまされた鉄鍋売りは、まっ赤になって怒ったがな。

「このうそつき!その豆は夕立にぬれてカビが生え、売り物にならんと言うとったがな」


「なにぬかす!お前こそ、鉄鍋背ったろうて歩いたら重たいし、鉄が日に焼けて背中がやけどしそうやと、ヒーヒーぬかしけつかったくせに!」


 二人はとうとう川原で、つかみあいのけんかになりよってん。

 すると、二上山から金剛山にかけて顔出してた入道雲が、急にもくもくふくれあがり、空いちめんに広がったがな。


「夕立ちやでェー。線香立てやー。鍬立てやー」

 と叫ぶ、村人の声がしよる。


ひやこい風がさっと吹くと、空から、雨が一直線に降りだしたんや。


 ピカピカッ、バリバリッ、ドッシーン。えらいこっちゃねん。大きな鉄鍋に雷が落ちたんや。

パチパチパパーン。なんと、大きな袋の中の豆が一度に、ものすごい勢いではじけ飛んだ。鉄鍋売りも豆売りも、つかみ合うたまま、雲の上まではね飛ばされてしもたんやて。


兵やんびっくりこいて走り出した。ほんで、やっぱり魚売りが一番ええと思うた。


「ててかむ鰯いらんかー」


~富田林北部(中野町)に伝わる民話~

注 この話は、中野町の古老に聞いたものである。


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