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京都に生まれ育って学生時代も小中高大と京都で、社会人になっても、6年間だけ転勤して他の町で住みましたがそれ以外すべて京都で生活をしています。やはり京都は故郷以上なのです。


京都を紹介されている「瀬戸内寂聴」さんのコラムを発見しました。

 

『京都人は昔から茶道、華道が盛んで、正式に習わなくても、見様見真似で花も活ければ、茶をたてて客にすすめることも出来た。


「花もお茶も自分のためではなく他者への愛だった。」

花は自分のために活けるのではなく、いつ訪れるか客の目や心を慰めるために活けた。暑い時に冷たい茶をだすのも自分のてめではなく、客の欲するものを想像してそれを手早く与えるという思いやりの心からであった。暑かろう、寒かろう、喉が乾いているのではないかと、相手つまり他者の体調や心を想像することが思いやりであり、思いやる心は即ち他者への愛であった。


「千年の都に備わった気品、ゆとり」

華道も茶道も他の人の心を思いやる練習することであった。京都人はそれを代々、子供に躾けることを当然の親の義務としてきた。それが千年の都に備わった気品であり、ゆとりであった。京都が日本の首都でなくなってから144年も過ぎている。その間、日本に戦争や原爆というおそろしい武器で破壊されてしまった。それでも京都はほとんど無償でその難からのがれている。

 

京都の自然は、千年昔のままに美しく四季折々の楽しみを、今も惜しみなく京都に住む者に与えてくれつづけている

 


 

私はこんな京都が好きなのです。もっともっと時間をとって京都の街を歩こうと思っています。今の年齢にあった目で京都をみてみたいのです。

 

”おこしやす京都へ”