あ゛~~~~ そういうことかぁ | ネグmamaと息子

ネグmamaと息子

ネグレクトママから京大生が育った!
その京大生も巣立ってしまって
今は老夫婦2人生活。

アイコンママブロネタ「ママの悩み」からの投稿


ジムのお風呂でおばさまたちとおしゃべりしていて
いつも会うおばあさま(おばさまというにはもうちょっと高齢)が
「今日はお母さんは一緒じゃないの?」という話から
(今日は私一人でしたから)
「娘さんがいる人はいいなと思うのよ うらやましいわ」とおっしゃった
私は娘ですけど
私には娘はいませんから
○○さん(おばあさま)と同じですよと
答え
老後の話になり
「老後を考えたら 子どもなんていなかったほうがよかったのかもと思ったりしますよ」
なんて話した

全く
私は身勝手なので
息子が大学に合格したときなんかは
偉そうに
子どもがいてよかった…なんて
思ったりもしたけれど
それも過ぎてしまったら
やっぱり子どもなんていなくてもよかった…なんて思ってしまう

そうやって思うと
私はやっぱり『ネグmama』だなと納得する
異常に過保護な部分もあって
なにをヤイヤイ言っているのだと
私を知っている人から言われたりするけれど
それもこれも
結局は「自分のため」でしかないということ

子どものためとか言いながら
結局は自分のため…というところが
私はネグレクトなのだと思う

ネグレクトというのは
育児放棄のことなんだけれど
既に25歳もの息子に育児というのはいかがなものかとも思うが
25年間
結局 私は私のためだけに何かをしてきたということ
仕事をしたいときは勝手に仕事にうつつをぬかし
子どもを自慢したいときには自慢をし
子どもに手を出したいときには手を出してきた
それは
全部 大人目線の子育てで
子ども目線の子育てではなかったということ
そこが
育児放棄なのだと思う

そんなことを鬱々と考えていたら
元上司に
「お母さんとあなたは一緒だ」と言われたのが合点がいった
私は母とは違うと思っていたし
思いたかった
だけど
根本が一緒だ

「あなたのため」と言いながら束縛していた母と
「自由にしていい」などと言いながら放置しているフリをしていた私は
どちらも
自分本位だということ
愛しているのは子どもと言いながら
考えているのは自分のことだけ…

そんなことは
当の昔にわかっていたこと
何度も何度も自分でそうだと思っていること
それなのに
やっぱり
そうだと納得すると凹む





淑徳大学の深澤真紀教授が
「命を大切にしなさいという教育も
 1/2成人式も
 みんな大人目線からの教育だ」とラジオで話てらした

そっか
大人が嬉しい教育をしたって
子どもは迷惑なだけかもしれない

それは
森友学園とちっとも変らないのかもしれない

被害者は息子かぁ