ブログなどに現を抜かしてると、通信大学の作成中のレポートも進まなければ、積ん読本も一向に減らない。


学びたいこと、興味深く読みたい本などもいっぱいあるのに、このところ、半ば意地になって毎日これを更新している。


ブログを書くのはなぜだろう?


人それぞれだろうけれど、自分の場合、内面を見つめたり、現在の状態を客観視できたりなどのメリットがあるように思える。


ま、その前に、書くことは、自由を満喫できるし、色々頭の中で遊戯可能だし、自分だけの空で想像、創造の羽根を広げ飛び回れたりと、性に合うのだろう。


よく似た遊びに、SNSやオンラインゲームがあり、今ならPokemon GOが世界の幸せそうな国々で大流行だ。


これまた巧みに現実と仮想世界を連結させて、ゲーマーを夢の世界へと誘い、文字通り夢中にさせる。


ブログを書くことと同様、そこには癒しやストレス発散などの効用があるのは分かる。


私もファミコン世代の任天堂育ち。


楽しく遊ぶのには何ら問題は無いと思う。

だが、一方で信じたくない現実と闘い、苦しんでいる人たちが存在する。


権力や闇の存在が、そのことを忘却させるためにゲームや何やらで誤魔化しているのではないかとさえ思えてくる。


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世界各地で起こっている貧困や差別、テロなどもそうだが、同じ日本で、リアリティーな巨大モンスターと、アイテムも武器も持たずに素手で、また座り込みという唯一の武器、いや防御にすぎない手段で、戦い続ける英雄たちがいる。


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ポケモンモンスターなど探している場合だろうか?


興味本位でダウンロードしたアプリを恨めしく思う。


それでもまた、どこかへ出掛けたら、娘たちと一緒に楽しく遊ぶことの哀しみ。


ただ、言えるのは、忘れてならないのは、私たちが考えている以上にこの国は泥沼に足を踏み入れてしまっているのかも知れないということ。



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もっと政治を監視せよと自分に言い聞かせる。


ある人のブログを通じて、沖縄のオスプレイ配備問題に関心を抱いた。


沖縄の基地問題など、ニュースで聴き知っていたが、生々しい映像で観せつけられると、こんなことが現実に沖縄で行われているのかと、目を疑いたくなる。


戦前戦中のように政治権力によってコントロールされはじめたニュースでは、私たちは沖縄の基地も、致し方のないことなのだと、思い込まされる危険性がある。


真偽を見極める情報リテラシーの重要性を知った。


いつまで沖縄だけに犠牲を虐げるのか。
何ら落ち度のない罪なき人々に、私たちに代わっていつまで重い十字架を背負わせるのか。


私たちにそんな権利など絶対にない。


腹を立てるだけで、自分ひとりでは何もしようとせず、何も出来ない無力さを痛感する。


本当は1人の力は偉大なはずなのに、数と力で物事を推し進めていく政治や現実に流され、結果的にSNSやゲームなどに逃げこんでいる。


でも、それでもここで声を上げていくしかない。
選挙も終わり、あとは何が出来るというのか。


とにかく無関心ではいられない。


沖縄の現実は、私たちの現実と必ずなる。


目をそらせることだけは止めにしたい。
 

心震わせられた、沖縄の高江の人たちのこの現実をどうか観て欲しい。


三上知恵監督のドキュメンタリー映画『標的の村』(45分)。