悔しいのは、料理の世界において焼肉屋のステータスがあまりにも低く見られていることである。
あるいはそれは、昔のことで、今は立ち位置も変わり、老若男女に好まれて、ただ私の往年の思い込みなのかも知れない。
そう、自身の心が貧しい証拠だと。
しかし、焼肉は他の料理、和食やフレンチなどと比較して歴史が浅い。
開拓できる余地も大いに残されている。
生の肉を切って塩を振るかタレを絡めて器に盛り付けるだけ。
調理である焼くことはお客さん任せ。
こんなのを料理と言えるか?
何かもっと手を加えたい。
焼くまで、もしくは焼いている間、またはその後に工夫できることはないか?
もっと美味しく、時に豪快に、時には繊細に、食を飾り、多彩に表現してみたい。
単純な中に無限の創造力を働かせるのだ。
何かないか、何か……。
何かアイデア出て来い、来い。
心掛けていることはある。
できる限り既製品は使わないこと。
食材として使用しているウインナーやベーコンなどは確かに既製品だ。
他にも探せばあるかも知れない。
だが、要となるキムチやスープは一から手作りすることにこだわる。
肉は冷凍しない。
何百種類もある食材の中で今思い当たる魚介類の海老とイカ、カニくらいを除き、冷凍品を仕入れることはしない。
内臓系ももちろん生で購入するが、その中で一部必要最小限に冷凍する場合はある。
頻繁に出ないものは実際、致し方ないところなのである。
ただ、なるべく生の状態でお出しできるように、仕入れやメニュー構成などにより、努力を重ねる。
せっかく来店されたお客様に、感動して貰いたいのに、来て良かったと思われたいのに、美味しさではなく失望を味わせることほど悲しいことはない。
お客様の心からの笑顔は間違いなく幸福を運んでくる。
目的はそれしかない。
利益とか雑念はある程度必要ではあるが、それ以上には決してならない。
自分がこの店に足を運ぶ立場になりきり、人としてそれは取るべきことであるかどうかをいつも判断基準にする。
そこのところを間違えると、美味しさの追求が曖昧になり、二の次になる。
欲望をタレでごまかし、嘘の看板を掲げてまで商う根性は持ち合わせてなどいない。
休日にあらためて自分の思いを内省し、吐き出してみた。