今日も店を開ける。

美味しい焼肉と愉しい時空を求めてお客様が玄関の引き戸を開ける。
いつも緊張する一瞬だ。
嬉しそうな顔、何かあったのか浮かぬ顔、無表情、様々な内面を一瞬の内に予想してしまう。
何があるにせよ、ここに来て頂いた限りは、笑顔になってもらう。
そんな想いを新たにし、料理に込める。

{C30153CB-45EA-43BA-881C-8D585C79661A}



ただ、前回のリニューアル時に失敗したことがある。
一つは、カウンターをあまりにも軽視し、小さく見積り、スペースが手狭になったことだ。
排煙ダクトが二つ、大の大人が座れば窮屈そうな席が四つのみ。
テーブル上も七輪を置き、料理の皿をいくつか並べたらすぐにいっぱいになる。
互いの想いがこぼれ落ちそうになる。

こんな筈では無かった。
どうしてこうなってしまったのか?
思いを馳せると、原因は私にあった。
オープンキッチンの今の状態すら、改装計画中にはそうではなかった。
大きな塊肉を捌くのに、広い仕事場が欲しくて、隣接し独立したスペースを作るつもりだった。
当然、そこからお客様の顔や食事されている状態を見ることなど出来ない。
それでも良い、いや、その方が仕事に集中出来るとさえ考えていた。

それが大いなる間違い。
飲食業の仕事はそんなものではない。
これが結婚式や会席、広い宴会場で何かの行事などに利用される席なら構わないし、そうせざるを得ない。
しかし、私がしていることは、また、したいことは料理だけをメインにしたり、何か他の目的のために提供する時間や場所ではない。

{16620ED9-CDC4-4825-846D-598854CA56F1}



懐古趣味ではないが、その点、昔は良かったと正直に思う。
それは先代のお袋の時代。
手を伸ばせば握手できた距離。
こころの距離も近かった。
声が届けられ、料理を直接手渡せた。

「おかあ、なんかうまいもん作ってくれ」

「かーっ!パチンコで六万やられた」

そんなたわいない会話が交わせた。

何を誤ったのだろう。
そう、経済的理由。
家を建て、店をリニューアルして、席数を増やし、貯金が皆無だったくせに一気に莫大なる負債を抱えてしまった私たちは、売上を少しでも確保するために躍起になり、血迷った。

借金は人を縛る。
心までそうありたくはないが、現実的に生きていくために手放さざるを得ないものがある。

でも、と思う。
話をするのも聞くのも、相手の目を見てするもの。
料理だって、きっとそう。
食べてくれる人の顔を見て、体調や嗜好、気分を慮りながら、そして食事の流れや速度を肌に感じつつ、心をそこに置きながら本来作るものだ。

それが今は違う。
一組、二組、もしかしたら三組までは許容可能かもしれぬが、一気に五組以上来たら、料理は単なる作業に堕しやすい。
タンならタン、カルビならカルビ、複数のテーブルの共通するものを一度にまとめて作る。
個々人を十把一絡げに無個性でのっぺらな、機械的、数的な集団として見做す。
それをプロとは言えないと言われれば返答のしようがない。
私の能力では不可能とだけ言い訳するだろう。

やはり、店はこぢんまりした方が良い。
金に縛られず、でっかい心の空間で自由に羽根を伸ばして、創造料理を目の前のお客様に捧げたい。
ミニマリスト、シンプリストでもないが、不要な要素を排除し、単純化に努める。
その際弊害もあり得るだろうが、それを駆逐しながら新たな境地に店の品格を上げていきたい。
品格とは、本当は泥臭いものなのだ。

料理を提供する者たちの笑顔と、それを受け取るお客様の笑い声。
美味しい香りと音、明るく愉しい光と幸福、そんなものが飛び交い漂う店。
それが私の理想の世界である。

{5D265909-A3F2-403A-85BF-91292ADF5D8B}



今の店でも、それは無理ではないと信じたい。
要するに心の問題だろう。
壁は物質的なものに過ぎない。

{2B6E60A2-3291-41BC-8B71-016FDF5088CF}



この狭く細長い厨房から、今日も心を届けていきたい。